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若いころは長い間、ジャーナリストという言葉に憧れていた。いつか自分もジャーナリストと呼ばれるような人間になりたいと思っていた。それがいつからか、ジャーナリストという言葉が嫌いになった。
フリージャーナリストはいいのだが、組織ジャーナリストが使う「ジャーナリズム」「ジャーナリスト」という言葉には排他的なニュアンスが入り込んでいて、優越感、劣等感、嫌悪感などのネガティブな感情を人々の中に起こすことがあると思うからだ。その辺りの考えについては「ブログがジャーナリズムを変える」という本の中に書いた。その部分の原文がブログ記事として残っているので、興味のある人はここを読んでいただきたい。
報道機関に勤務するからには、たとえ自分がこの言葉を嫌っていても、自分に対してこの言葉が使われることからは逃げられなかった。でも年明けからはフリーな形で活動するのだから、自分に対してこの言葉を使うことは一切止めたいと思う。(Twitterでは冗談で「つぶやきジャーナリスト」と名乗り続けるかもしれないけど)
わたしをジャーナリストと形容した印刷物に対して訂正を求めたり、目くじらを立てて抗議することはない。そこまで神経質になることはないが、少なくとも自分からはブロガーや、リサーチャー、ライターなどと名乗りたいと思っているし、わたしのことをそう形容していただきたいと考えている。
最後に強調しておきたいのは、ジャーナリスト、ジャーナリズムそのものを否定しているのではないということだ。フリージャーナリスト、組織ジャーナリストの中にも尊敬できるジャーナリストは非常に多く存在する。わたし自身、そうした人たちには敬意を込めてジャーナリストという言葉を使い続けたいと思っている。