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高野修平
(@groundcolor)
ミュージックビデオとはそもそもその音楽を広めるためのコンテンツである。アーティストの楽曲に合わせて制作し、その世界観を映像で表現する。そんなミュージックビデオも様々なスタイルのものが生まれてきた。
今回はミュージックビデオについて考えてみたい。
最近のインタラクティブなミュージックビデオを見ていると大きく分けて3つに分類できる。
・ソーシャルグラフを活用したもの
・ミュージックビデオ自体にユーザが触れるもの
・ユーザ自身とミュージックビデオをつなげるもの
ソーシャルグラフを活用したミュージックビデオ
最も有名なのはご存知のとおり、『SOUR』の映し鏡である。facebookやTwitterとコネクトすることにより、ユーザーオリジナルのインタラクティブミュージックビデオを見ることができる。賞なども受賞し、多くの人が知っていると思うが、これは本当に素晴らしい。
楽曲との親和性も高く、音楽を広めるためのミュージックビデオとして最大限の効果を発揮したように思う。
もうひとつはfacebookを活用したONE OK ROCKのミュージックビデオだ。新曲「Re:make」のプロモーションとして制作されたもので、facebookを利用してユーザー個人個人変化するものとなっている。
SOURやONE OK ROCKのミュージックビデオが秀逸なのは、ユーザのソーシャルグラフを活用した部分はもちろんだが、そのソーシャルグラフに加えて、特筆すべきはユーザの『想像を超える体験インパクト』を創出していることだろう。
映し鏡であれば、Googleやtwitter、facebook、webカメラと『本来の用途を超えた使われ方をされた瞬間』であり、Re:makeであれば、facebookのUIが壊れていくという『変わるはずがないと思っていたものが変わった瞬間』だ。
ただ友人たちのアイコンが表示される「だけ」ようなものは難しく、SOURやONE OK ROCKのように体験インパクトを与えているのが素晴らしい理由のひとつだと思う。
合わせて、ひとつのソーシャルメディアではなく、いくつかのソーシャルメディア対応への配慮やfacebookアカウントを持っていないユーザにも対応している点も素晴らしい。
ミュージックビデオ自体にユーザが触れる
ミュージックビデオそのものにインタラクションをもたせたものも非常に多くなってきている。
ライブバンドとして有名で、今年のサマーソニックにも出演するMute Mathの最新シングルのビデオもユーザが自由にミュージックビデオをいじれるようになっている。それぞれの楽器のパートを自由に触ってミュートにしたり、ソロにしたりとユーザが遊べる仕組みを採用している。ノーマルなPVへの導線も配慮されている。
DangerMouseとDanieleLuppiによるROMEのミュージックビデオ「3 Dreams of Black」も非常に面白いものなっている。Chrome限定ではありますが。
ユーザが自由にマウスをブラウザウインドウの左右に振ることで最大360度の景色が楽しめる。
Arcade Fireというバンドはミュージックビデオでも非常に先進的な取り組みを行っているバンドのひとつだ。少し前の曲になるが『NEON BIBLE』というミュージックビデオはヴォーカルの映像の中でクリックできそうなところをクリックすると、妙な表現や意味深な動きが現れ、楽曲の世界観を見事に表現している。
また、the Streetsのcomputers and blues interactive filmは、アルバムのプロモーションフィルムとして択式のストーリーが展開されていく中で、アルバム曲を視聴させてしまう方法を用いている。
このようなミュージックビデオ自体にユーザが触れるものの共通する点としては『見えていない、聴けていないものに対する好奇心』といえるのではないだろうか。
もっと違う映像を見てみたい。1回目では見られなかったものを見てみたい。参加させるハードルは低くしながらも、1回では理解できない中毒性をミュージックビデオの中に組み込む必要がある。そして、それはユーザ自身が操作して見つけられるものでないといけない。
ユーザ自身とミュージックビデオをつなげるもの
ミュージックビデオの中にユーザ自身を組み込むもので一見、ソーシャルグラフを活用したミュージックビデオと似ているようだが、これは広がりといういうよりも個人体験の可視化に近い。
前述のSOURの『日々の音色』はファン自身がウェブカメラで撮影した映像をつなげて制作されたものだが、これはファンである個人個人とSOURをつなげたものだ。
Arcade Fireのミュージックビデオでもうひとつ。これも有名だが、Googleストリートビューと連携したミュージックビデオで自分の生まれた地域を入力し、ミュージックビデオの1シーンに自分の故郷が組み込まれる構成になる。
これはソーシャルグラフではなくて、自身の記憶とミュージックビデオを結びつけるものだ。人ではなくて、記憶とつなげる素晴らしいミュージックビデオだ。余談だが、なぜ生まれた地域なのかというのもしっかりと楽曲、アルバムの世界観を反映してのことだ。
最新の事例でいうと、@jaykogamiさんがブログでご紹介されていたもので、今年のフジロックにも出演するイギリスの新人バンド『The Vaccines』がinstagramでファンに夏フェスに関連する投稿を指定のハッシュタグで呼びかけ、ファンと一緒にPVを制作した。このような取り組みも新しい音楽の楽しみ方なのかもしれない。下の動画は写真投稿呼びかけのものである。
最後に、ユーザ自身とミュージックビデオをつなげる素晴らしいものをひとつご紹介。
Salyuの新プロジェクト「salyu x salyu」にて発売されたアルバムの中の1曲である『muse’ic」のミュージックビデオだ。
こえはもはやミュージックビデオを完全に超越したインタラクティブなミュージックビデオアプリケーションである。
「muse’ic visualiser」として有料で発売されたこのアプリは自身が目にしている風景が「muse’ic」とシンクロし、変化するアプリだ。
「全ては音楽」というこの曲のコンセプトの表現方法として「ユーザーの置かれている環境自体をミュージックビデオ化する」という方法をとったとのこと。
テレビでミュージックビデオを見る。PCでミュージックビデオを見る。iphoneやipadでミュージックビデオを見る。デバイスの進化やターゲット選定に伴ってミュージックビデオも変化していくのかもしれない。
ただ、すべてのミュージックビデオがそうなる必要はもちろん、ない。アーティストや楽曲に合わせてその世界観にマッチする場合は、このようなミュージックビデオを駆使するというのも必要だけど、当たり前だがまずアーティスト、楽曲ありき。単純なライブ映像や一般的なミュージックビデオが適している場合もある。
三度Arcade fireで申し訳ないが、彼らの楽曲『The Suburbs』はあのスパイク・ジョーンズが監督し、直球の映像と脚本の短編映画『Sences from the suburbs』の一片として描かれている。本編はCDとセットでDVDとして発売されている。
また、The Suburbsにも共通するが、単純に映像のクオリティだけで魅せるミュージックビデオも変わらず必要だと思う。Mute MathのTypicalというミュージックビデオは逆再生で制作されており、何度見ても面白いミュージックビデオになっている。
その他、OK GOなどのように、圧倒的な映像クオリティで伝える方法論は依然として必要だが、そこはやはり映像クリエイターとの協働創作になっていくだろう。
どちらにせよ、音楽を広めるためのコンテンツとしてミュージックビデオを定義した場合
シェアだけでない広がりを考えていかなくてはいけない。
そのためにはミュージックビデオ自体にソーシャルな要素を盛り込むのひとつだし、ミュージックビデオから音楽を広めるための仕掛けとしてソーシャルな要素を盛り込むのも方法論のひとつだ。
例えば、視聴者が増え、シェアすると見られる動画が増えていくペリエのYouTubeチャンネルなんかもひとつの参考になるのではないだろうか。視聴者やシェアが増えれば増えるほど、新しいミュージックビデオが見られたり、未発表の楽曲が聴けたりといった具合に。
オフラインでも、もともと音楽を聴くことがソーシャルな体験だったように、聴くだけじゃなく見ることも今後より一層ソーシャルな体験になっていくのではないかと考えています。
今回はみなさんが知っているものばかりだったと思いますので、これは!というミュージックビデオがあれば是非、教えてください。
1983年生まれ。ソーシャルメディアマーケティング支援会社トライバルメディアハウスに所属。
ソーシャルメディアと音楽ビジネスの未来を考えています。
変化していくコミュニケーションスタイルや方法を考えながら、自分ができることから始めたいと思っています。
twitterアカウント:@groundcolor ブログ:a day on the planet