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日本の異能 猪子寿之氏「茶道からマリオブラザーズへ。文化+テクノロジーこそ日本の歩むべき道」 【湯川】

[読了時間:3分]

 チームラボの猪子寿之さんとじっくり話する機会を得た。最後に彼とゆっくり話をしたのは、もう数年も前になる。そのときに比べると彼の主張はずいぶん進化したように感じた。以前は漠然としていた抽象概念が、理論的にも明確になってきたように思う。「手を動かしているからですよ。実際に手を動かさないと考えは進化しないから」と言う。

 その「手を動かして」作った最近のプロジェクトを幾つか見せてもらった。

 大衆演劇の人気俳優、早乙女太一さんの舞台を昨年から支援しているのだそうだ。動画は今年の新春公演「龍と牡丹」-剣舞/影絵-だ。

 チームラボといえば、こうした文化的なプロジェクトが話題になることが多いが、実際には東京と上海のオフィスに勤める約300人の大半は、ECサイト、企業サイトの開発、運営に従事している。

 そんな会社が、このような文化的プロジェクトになぜ積極的に関わっているのだろうか。

iPhoneがガラケーに勝つ理由

 「もはや技術には競争優位性がなく、文化的な領域をテクノロジーで再構築することにこそ競争優位性があるとわれわれは考えているからです」と猪子氏はいう。

 「情報化社会になって言語化できる情報の共有スピードがものすごく早くなった。残念ながら技術も言語化可能な情報。すぐに真似される」と猪子氏は指摘する。

 タイムマシン経営という言葉がある。情報伝播の時間差を利用して、1つの国で成功した事業を、別の国に持って行って展開するビジネス手法のことだ。日本で流行したインベーダーゲームのゲーム機を外国に運んで、現地でゲームセンターを開設するようなビジネスのやり方だ。現地の企業がインベーダーゲームの可能性に気づきゲーム機を開発する前に収益をあげることができる。情報伝播にタイムラグがあるからこそ成立するビジネスだ。

 ところがインターネットの普及で、こうしたタイムラグはどんどん短くなってきている。米国でGrouponが成功し始めたということがネット上で話題になれば、あっという間に世界中にGrouponを真似た事業が無数に登場したことは記憶に新しい。タイムマシン経営が成立しづらくなってきているわけだ。

 言葉にできる情報はネットを通じて瞬時に世界中に広がるようになってきている。技術であっても言葉にできる情報である。いい技術はあっという間に世界に広がる。同じ技術を持っているのであれば、賃金や土地代などの社会インフラコストが安い途上国の企業のほうが圧倒的に有利である。

 これが猪子氏のいう「技術でさえ競争優位性にはならない」という意味だ。

 これまで日本は技術力を競争優位性の源泉としてきた。情報化社会になって技術が競争優位性につながらないのであれば、何をもって日本企業は世界と戦っていけばいいのだろうか。

 「かっこいいとか、かわいいとか、主観的なもの、言語にできないもの、文化依存度が高い領域でこそ、勝負すべきだと僕らは考えています」と猪子氏は主張する。

 日本のメーカーの技術者がiPhoneをこき下ろしている話を聞いたことがある。iPhoneの機能の大半は、日本のフィーチャーフォンが早くから実装していたものだし、スペック的にもたいしたことがない、というような主張だった。またiPadの大成功を受けて発売された他社のタブレット型デバイスの中には、iPadよりもカメラの解像度が高かったり機能が満載のものもある。それでもiPadの人気のほうが今のところは高い。Apple製品はかっこいい、と言われる。熱烈なファンが存在する。ここまで熱烈なファンを抱えているデバイスメーカーはほかにない。

 「ハーレーダビッドソンやマクドナルドだって、アメリカの文化やハリウッド映画の影響もあって世界で人気があるんだと思いますよ」と猪子氏は言う。かっこいい、かわいい、といった主観的なもの、その国の憧れの文化を背景にした何かが、技術に加味されることで、その技術の価値は何倍にも大きくなる。文化+テクノロジーが、競争優位性になるというわけだ。

 では日本企業が優位性を発揮できる文化的領域って何なのだろう。

 「それを知りたいのでアート作品などを手がけているんです。文化の形式ではなく、その裏側にどういう美意識があるのか。どういう世界観があるのか。そういう美意識や世界観の結果、どのような産業に発展しているのか。そういうことをひもときたいんです」と猪子氏は主張する。

マリオと茶道の共通点

 過去に日本企業が日本の文化を背景に成功した例があるという。任天堂の人気ゲーム「マリオブラザーズ」だ。マリオブラザーズは、茶道や枯山水といった日本文化と無縁ではないという。

 以前、猪子氏はたまたまお茶に関する本を手に取った。世界中のお茶のことが詳しく書かれた本だった。お茶の飲み方は国によって様々なのだが、どの国もお茶をおいしくのむためにお茶の煎れ方を工夫していた。お湯は何度くらいが適温か、カップはどれくらいの大きさがいいのか、などといったノウハウがどの国にも存在した。お茶をおいしく飲むことを目的にしたノウハウだった。

 ところが日本だけは違った。

 日本は、お茶を煎れるという手段自体が目的だった。「どういう煎れ方が精神性が高いとか、こういう煎れ方のほうが宇宙とつながれるとか、そんなことが重要。茶碗を3度も回したら、せっかくのお茶が冷めてしまうのに(笑)」。

 この手段自体を楽しむということが日本的であり、われわれ日本人は無意識のうちに「目的より手段を楽しむ」ことを追求するところがあるのではないか。猪子氏はそう指摘する。

 猪子氏は任天堂のマリオブラザーズの大ファンだと言う。なぜそこまでマリオブラザーズが好きなのかを考えたときに、マリオブラザーズにもこの「目的より手段を楽しむ」という要素が入っていることに気づいたのだという。

 マリオブラザーズ以前のゲームのほとんどは、敵を倒したり、高い点数を得ることが目的だった。目的を達成すれば高揚感を味わえ、失敗すれば悔しい思いをするものが、ほとんどだった。

 しかしマリオブラザーズは違った。目的に向かって進んでいること自体が楽しいゲームだった。一応得点も表示されるし、ゲームをクリアできる設定になっている。しかしだれも高得点を自慢しないし、ゲームをクリアできなくてもそれほど悔しい思いはない。目的へ向かって進む行為自体が楽しいゲームなのだ。

 まるで茶道のようだ。猪子氏はそう感じた。

 任天堂の開発者が、そうした日本的な要素を意識して盛り込んだのかどうか分からない。多分無意識のうちに組み込んでいたのかもしれない。「無意識にしてしまう、というところが文化の強み」と猪子氏は言う。

遠近法とは違う世界の見え方

 マリオブラザーズはまた、ゲームが横に進んでいく「横スクロール」を世界で最初に導入したゲームだと猪子氏は言う。そしてこの横に世界が広がるという世界の見え方が、非常に日本的なのだという。

 西洋では世界を遠近法的に見ている。西洋の絵画の多くは近くにある物を大きく描き、遠くにある物を小さく描いている。ところが大和絵は、遠近法で描かれていない。遠くにある物も近くにある物も同じ大きさで描かれている。われわれ現代に住む日本人は、西洋教育の影響を受けているので世界を遠近法的に見がちだが、昔の日本人は世界を大和絵的に捉えていたのではないだろうか。

 われわれは、われわれの目には近くのものが大きく、遠くのが小さく見えている、と考えている。われわれの目はまるで写真で撮影したように世界を見ている、とわれわれは考えている。

 しかしわれわれの目は写真のようには世界を見ていない。われわれの目が焦点を合わせて見ることのできる範囲は非常に小さい。見えている風景の中心部分にだけ焦点が当てられ、その周辺の風景は非常にぼやけて見えている。目に映るままを写真にするのであれば、フォーカスが当たっているのは真ん中部分だけで、周辺はピントがひどくずれているような写真になるだろう。それがわれわれの目を通した世界の実際の見え方である。

 だがわれわれは目をキョロキョロさせて焦点を当てる領域を変化させることで空間を認識する。まるでフォーカスする部分を変化させながら同じ風景の写真を連続で何枚も撮り、それらすべてを合成して隅々までピントが合った写真を作る作業。われわれの頭脳は、そんな作業を瞬時に行なって空間を認識しているわけだ。

 つまり脳で勝手に合成しているわけである。その合成の際に、物の見える大きさと距離との関係を正確に再現することを重要だと考えるのか、登場する人物や物体の様子こそが重要だと考えるのか。西洋は物の大きさと距離の関係を重要視した。遠近法的な空間認識を重視したわけだ。日本人は、人物や物体の様子こそ重要だと認識した。物の距離は、近く、遠く、真ん中くらいの認識で十分だと考えたのだろう。日本人の空間認識はレイヤー構造になった。

 こうした空間認識の違いは、建造物などに如実に現れている。以下はベルサイユ宮殿の写真だが、遠近法を意識してデザインされている。

 一方で日本の庭は、縁側、庭、塀、塀の外、というようなレイヤー構造になっている。

 レイヤー構造なので、縁側を横に移動しても、どの位置からでも庭の美しさを鑑賞できるようになっている。

 一方でベルサイユ宮殿は遠近法的な美意識で作られているので、横に移動するとその美しさは軽減してしまう。美しさを保ちながら進む方向は、前方しかない。

 こうした世界の見え方の違いがゲームにも現れたのではないか、と猪子氏は指摘する。欧米のゲームが前後、上下に移動するものが多い中で、マリオブラザーズが横に進行する設定になっているのは偶然ではなく、文化的な世界の見え方がこういったところにまで影響しているからではないか、と猪子氏は考えるわけだ。

 そして欧米のものまねではなく、たとえ無意識であったとしても日本文化に立脚する製品のほうが、世界に受け入れられるのではないか、と猪子氏は主張する。マリオブラザーズが世界で受け入れられたのは、この日本的な空間の展開が独創的だったことが1つの要因ではないか、ということだ。

 「あくまでも僕たちはそう考える、ということですけどね」と猪子氏。チームラボという会社はそう考え、これからも進んでいくのだという。文化的依存度の高い領域をテクノロジーで再構築していくことで、世界に受け入れられる製品を作っていくのだという。

 ただ人も会社も社会に依存している。日本社会が世界的な競争力を失っていけば、その影響は猪子氏にもチームラボにも及ぶ。なので「日本社会がもう一度競争力を取り戻してくれればいいなと思っています」。「日本社会で力を持っている人の多くは西洋教育の影響を受け過ぎていて、西洋の尺度で物事を考えるということが世界で勝つ方法だと思っている。でもそれは明らかに違う。それを説明したい」。

 もう既に欧米企業が戦いのルールや形式を決めてしまった領域ではそれに従わざるを得ない。しかしインターネットはまだまだ未開拓な領域がたくさん残っている。その未開拓な領域に向けて日本の文化に沿った製品、欧米の真似をするのではなく日本人の感性に沿った製品を打ち出していく。それこそが日本企業の優位性につながるのではないか。文化依存度の高い領域をテクノロジーで再構築することにこそ、日本社会の生きていく道。猪子氏はそう主張し続けたいのだそうだ。

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