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インドは今後、シリコンバレーを超える世界のテクノロジーセンターになるのではないか。2月のインド取材を終えて、その思いを強くした。インドの技術が世界に広がる兆しを肌で感じたからだ。中でも、モバイル機器を使った金融のアプリケーションは、インドの可能性を示す顕著な例だと思う。
すべてはプリペイドケータイから始まった
新興国へ行くと携帯電話はプリペイド(料金先払)方式が中心だと言う。日本などの先進国のユーザーにはその理由がぴんとこない。
新興国の多くの消費者がプリペイド方式を選ぶ理由は、実は簡単だ。日本のように、使った電話料金を後から請求されるポストペイド(料金後払)方式を選択したくても、電話会社の審査が厳しくてポストペイドのアカウントを開設できないからだ。
電話会社としては、支払い能力があるのかどうか分からない低所得者層に料金後払いアカウントの開設を認めるのは、リスクが大き過ぎるということだ。
ユーザー自身も月末まで通話料金が幾らになるのか分からなくては不安なので、プリペイド方式を選択することが多いという。インドで知り合ったビジネスマンのAtul Sharma氏によると、彼自身はポストベイド方式で携帯電話を利用しているのだが、彼のドライバーはプリペイド方式を利用しているらしい。「通話の発信側は課金されますが、受信側は無料で受信できます。わたしのドライバーは主にわたしからの電話を受けるために携帯電話を持ってます。なのでプリペイドで十分」と話してくれた。
プリペイド方式の携帯電話は、あらかじめ通話料を電話会社に支払うと使用可能な残り金額が携帯電話に表示される。通話すればするほど残り金額は減ってゆき、いよいよ少なくなってくると再び入金する、という形だ。
入金の方法は、一般的には入金用スクラッチカードを使う。ユーザーは同カードを取り扱っている店舗でカードを購入。カードをスクラッチして銀幕をはがし、そこに記載されている何桁かの数字をケータイに入力し、SMSで電話会社に送信する。すると電話会社から「幾ら幾らチャージされました」というメッセージが送られてくる。こんな仕組みだ。
これをスクラッチカードではなく、クレジットカードを使ってパソコンやケータイから入金できるようにしたのがインドのEstel Technologies社だ。同社は、数年前にオーストラリアの企業からパソコンで入金できる技術のライセンスを取得し、インドで展開して大きく成功。今ではインドのプリペイドケータイのオンラインチャージ市場の50%以上のシェアを誇っている。
オンラインチャージはクレジットカードを所有する富裕層相手のサービスになるが、Estel社は店頭でもオンラインチャージを可能にするシステムを開発した。ユーザーが取扱店に出向いて料金を支払うと、店員がパソコンやケータイを使って金額とユーザーのケータイの電話番号を送信。ユーザーのケータイがその場でチャージされる仕組みだ。クレジットカードやパソコンを持たないユーザーでも、取扱店に出向くことでオンラインチャージできるわけだ。
店員のケータイにはEstel社が開発したアプリが搭載されており、データはEstel社のシステムを通じて携帯電話事業者に送信される。店舗はEstel社のシステムにアカウントを持っており、アカウント内の残金の額までエンドユーザーのケータイをリチャージできる仕組みになっている。
これで携帯電話と店舗と現金がつながった。
ケータイ、店舗、現金がつながった
ここからモバイル送金、モバイル金融に進展するのは必然だった。
Estel社は、取扱店の店頭に現金を持参したユーザーの携帯電話をリチャージするだけではなく、その現金を別のユーザーに送金するケータイ送金の仕組みも開発した。
具体的にはm-remittanceと呼ばれるアプリを開発し、取扱店に配布。取扱店の店員は自分の携帯電話にそのアプリをインストールし、銀行口座を持たない低所得者同士の送金を可能にした。
具体的には以下のような仕組みだ。ある青年が田舎に住む母親に送金したいと考えているとしよう。青年はお金を持って取り扱い店舗に出向く。店舗にネットワークに接続されたパソコンがあれば話は早いのだが、過疎地にいけばパソコンはおろか電気でさえ週に2日しか利用できないような店舗が多い。ただそうした店舗でも最近はほとんどの店員が携帯電話を持っている。そうした店舗に向けてEstel社はm-remittanceアプリを配布している。
青年は店員に、送金したい金額に手数料を上乗せした額を渡し、母親の住所と氏名を伝える。店員はm-remittanceアプリを通じて母親が住む近くの取り扱い店舗を検索。その店舗の店員のケータイに向けて送金額と母親の氏名などのデータを送信する。これで送金手続きが完了だ。母親がその地元店舗に出向くと、店員からお金を受け取ることができるようになっている。
店員の持つ携帯電話が送金の仕組みに早変わりしたわけだ。
送金が可能なら預金などの簡単な銀行業務も可能なはず。
そこでEstel社はマイクロバンキングアプリを開発した。マイクロバンキンングアプリは、銀行に向けに大量にライセンス販売するアプリだ。銀行は、町や村の小さな店舗にこのアプリを配布し、小さな店舗を銀行の支店のように扱うことができる。
途上国の低所得者の中には、銀行の審査が厳しくて口座を開設できない人が多い。また自分の住んでいる村落の近くに銀行の支店がない場合も多いという。そういう人たちは、仕方がないので現金を自宅に隠し持っているわけだ。
ところがこのマイクロバンキングアプリを携帯電話に搭載し、取扱店に行けば、現金を預かってくれる。利子もつくし、別のユーザーへ送金も可能になる。その店舗での買い物にも使えるようになる。
取扱店もマイクロバンキングアプリを携帯電話に搭載しており、銀行とのデータをやり取りする仕組みになっている。
その場合、ユーザーの電話番号が銀行口座番号の代わりになるのだという。
また取扱店は、実店舗である必要がない。銀行さえ認めれば個人でさえ銀行のエージェントになることができる。
このアプリのおかげで、銀行の支店がないような地域でも金融サービスが利用できるようになってきているのだという。
そしてアフリカへ
Estel社のこうしたアプリはインドでも需要があるのだが、インド周辺のスリランカや中東、東南アジアにも人気がある。
アプリをライセンス提供している国、地域は、スリランカ、ドバイ、サウジアラビア、バーレーン、レバノン、ウガンダ、エチオピア、ソマリア、カメルーン、象牙海岸、ガーナなど。
例えばカメルーンの金融機関Express Union社は、Estel社からライセンスを取得しマイクロバンキングサービスをカメルーンとその近隣諸国で展開している。
先進国ではなく新興国が作る世界標準
こうした金融サービスは先進国からは絶対に生まれない。
なぜなら1つには、こうしたケータイサービスがなくても送金は簡単にできるし、だれもが銀行サービスを受けることができるから。新しい仕組みは、従来の仕組みより少し便利なだけでは普及しない。圧倒的に便利でなければ普及しないものだ。
もう1つの理由は法律だ。当たり前の話だが現行法の多くは携帯電話のこうした利用を想定していない。なので法整備がしっかりしている国では、法律の規制を受けて携帯電話をベースにした新しいサービスはなかなか登場しない。例えばスマートフォンに簡単な器具を取り付けてクレジットカードをスキャンするサービスなどは、日本では始まらないだろう。クレジットカード利用の際には紙で利用明細をアウトプットしなければならない、とされているからだ。
途上国は法整備が進んでいないので、法律の規制を受けることなくテクノロジーの可能性を最大限に活かした利用方法が登場するわけだ。
なので途上国のほうが、優れたサービスが登場する可能性がある。一方で、優れたサービスには最新の技術が必要になるので、途上国からは登場しづらいともいえる。
未発達の市場と最新の技術。この二律背反的な要素を兼ね備えている数少ない国が、インドである。多くの貧困層を抱える一方で、先進国のアウトソーシングで世界最先端の技術を身につけたからだ。
途上国の市場ダイナミズムへの理解と、最先端技術を持って、インド企業は自国および周辺諸国、さらにはアフリカにまで勢力を伸ばし始めた。
Estel社も途上国にアプリを販売したり、ライセンスを供与したりするだけではなく、実際に自ら拠点を設け金融サービスを提供することを検討している。Luthra氏は「サービスを提供するには拠点が必要。どの国に進出すべきか初期段階の調査を始めている。市場規模、市場拡大予測、治安などを考慮にいれて検討中。恐らくまずは東アフリカのどこかの国になると思う」と語ってくれた。
シリコンバレーを中心とした先進国のアーリーアダプター向け技術と、インドを中心とした途上国向け技術。今、この2つの技術の潮流が、世界に広がり始めている。どちらのほうが広がるのだろうか。多くのユーザーを抱えた技術が、21世紀の世界のデファクトスタンダードになる。日本にいると先進国の技術の流ればかりが目に付くが、21世紀のデファクトスタンダードはインドがリードするのではないだろうか。今はそんな気がしてならない。
インドを視察した人の間から「ネット企業にとってインドってまだしばらくは魅力的な市場じゃないですね」という話を聞くことがある。まずは道路や、水道、電気といった社会インフラの完成度を上げることが先、という考え方なのだろう。でも新興国って先進国が歩んできた通りの順番で進化するとは限らない。道路や水道などの社会インフラの完成度が上がる前にITが普及する、という進化の道筋があってもいいはずだ。
いや道路や水道の完成度の向上を待たなくても、ITで可能になるソリューションはあるはずだし、それこそが本来のITの可能性なんじゃないかな。
豊かな国の消費者にあの手この手で無駄な消費をさせるためにITを使うのじゃなく、途上国の課題を解決するためにこそITを使うべきじゃないんだろうか。
お知らせ:インド関連セミナーで講演します。久しぶりの講演。詳しくはこちら。