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「やりたいことがなくてもだいじょうぶ。おれもそうだった」 起業家から学生へ珠玉のメッセージ IVSワークショップ【湯川】

[読了時間:8分]
 国内ネット業界最大級のカンファレンスInfinity Ventures Summit(IVS)が京都で開催された次の日、25歳以下の大学生、大学院生を対象にしたIVSインターワークショップ2012が京都大学で開催された。GMOインターネット株式会社の熊谷正寿氏やグリー株式会社の田中良和氏など、ネット業界の大物起業家が勢揃いし、人生の先輩として学生に熱いメッセージを送った。その中から人生や就職に関する珠玉のメッセージを幾つか集めてみた。

「ナンバーワンでもオンリーワンでもなく、夢もなかった」

 グリーの田中良和氏は、10代のころ、自分の今後の人生に対して漠然とした不安を持っていたという。「世間的にはナンバーワンになれ、オンリーワンになれって言われるけれど、自分はどう考えてもナンバーワンでもオンリーワンでもない。将来の夢を聞かれても、『サラリーマンですかね』ぐらいしか答えられなかった」と言う。


 田中氏は、「普通の会社に勤める普通のサラリーマンの息子」として育った。難病を克服したので医師を目指す、などといった劇的なストーリーなどあるわけもなく「あまりに普通。何かを成し遂げたいという思いはあったし、成し遂げる能力があるような気もするけど、かといって抜きん出た能力はなく、あくまでも普通だった」という。

 これからなりたい自分と今の自分とのギャップに苦しんだり、これからの未来を不安に思う時期がずいぶん長く続いた。自分の未来が見えず、バックパッカーとして旅したこともあった。

 そんな中、ある本に出会った。「二十歳のころ」という本で、社会的な成功者を含む何人かの大人が20歳のときに何を考え、何をしていたのか、というインタビュー集だった。

 その中に出てくる、今では成功者とみなされる人たちでも彼らが20歳のころは、麻雀に明け暮れていたり、女の子を口説くことに熱中していた。「しょうもないなと思うことがいっぱい書いてある。こんなしょうもないことをしていた人でも何年後かには偉くなっている。僕の人生も今は相当しょうもないけど、これからがんばればなんとかなるかもと思った」という。

 またあるときテレビを見ていると、ある東大教授がインタビューに答えていた。80歳ぐらいだろうか。その老齢の教授によると、ゼミにくる学生のほとんどが将来の不安を訴えるくる。この教授は「本当にこいつらはバカだな」と思うのだという。同教授によると、彼の今後の人生は簡単に想像がつく。同じような白い飯を食べ、同じような道を通って職場と家を行き来する。同じことを繰り返して、あとは死ぬだけ。「おれの人生はつまらん。それに比べて若者の今後は予測がつかない。これほどおもしろいことがあるだろうか」。80代の人がそう情熱的に語っているのを見て、将来に不安を持っていた20代前後の田中氏は衝撃を受けたのだという。「ものの見方とはそういうものなのか。不安のない人生は面白みがない。反対に可能性があるということは、何が起こるかわからないから不安になる。不安になるということは、可能性がある証拠。こんないいことはないんだ、と捉えようと思いました」。田中氏はそう語る。

 本を読み、人の話を聞いて自分探しをしていた田中氏が、インターネット業界で仕事をしようと決めたのは、マイケル・ポーター氏の来日講演だった。ポーター氏は講演の中で「大事なのは戦術より戦略。成長する産業に入ることこそが最も重要」と語った。田中氏は「瑣末なことに気を使うよりも、もっと大きな絵を見ないといけない、と思いました」という。成熟産業に就職して周りのライバルと小さな尺度で競争するより、インターネット産業のように今後大きな成長が約束された業界で仕事をすべきだと決めたのだという。

「交通事故や親の離婚とか経験してなくて、やっていける?」

 株式会社ディー・エヌ・エーの執行役員の赤川隼一氏も学生時代は普通の学生だったという。起業志向もネット業界への強い興味もなかった。音楽とお酒が好きな、どこにでもいるやる気のない大学生。それが赤川氏だった。

 別に就職したい企業があったわけでもないが、周りの友人たちが就職活動を始めたので、それにつられて就職活動を始めたが、やる気がないので「いきなり結構落ちた」。「ああおれって仕事できないかもと思って、企業説明会に行ったのが、たまたまDeNAでした」。企業説明会では、DeNAの創業者の南場智子氏が話をしていたのだが、そのエネルギッシュな話しぶりに魅了されたのだという。その当時、DeNAは既に上場していたし南場氏は個人で使うには十分すぎるほどの資産を既に持っていたはず。それでも南場氏を始めとする同社の幹部は皆、エネルギッシュだった。「なんかこの人たちすげーな。自分は何をしているんだろう」。「この人の会社に入れば、自分のような人間でも生まれ変われるかもしれない」「ここでリスクを取らないと一生酒を飲んでグチグチ言ってる人間になるな」。そう感じた赤川氏は、自分の勘を信じてDeNAへの入社を決めた。

 最終面接は、南場氏との個人面接だった。「君、ご両親元気?」「はい」「だと思ったよ」。なぜそんなことを聞くのだろう。内心いぶかる赤川氏に対し南場氏は一気にたたみかけた。「この業界でやっていくってことは、交通事故に遭っただとか、親が離婚しただとか、強烈な体験をバネにがんばる人たちと真剣勝負をしないといけないってことなんだけど、君にできる?どこの大学を出たとか一切関係ないよ」。やる気もなく毎日を漫然と過ごしていた大学生活を見透かされていたのだろうか。「どんなことでもいいのでやらせてください!」赤川氏はそう答えた。

 入社後は営業につき、がむしゃらにがんばった。そのかいあって半年後にはマネジャーに昇格。8人の部下は全員、自分より年上だった。その後、ヤフーとの提携の担当になり、海外担当、新規事業担当、と業務を転々とし、社長室長になった。「同じような仕事を2度繰り返したことがないんです。まったく退屈しない」と赤川氏は言う。守安功社長の、部下にすべてを任せるやり方は徹底していた。ある日、同社長から「韓国どうするか考えて。1ヵ月後に聞かせて」と言われた。まるで忘年会の企画を丸投げするような気軽さで、同社の韓国戦略を丸投げしてきた。「入社から今までは脳みそフル回転で走り続けた7年間でした」。

 最初から人生にやる気がない人などいない。画一化された教育や、環境の中で、自分らしさを見い出せなくなって、多くの人はやる気を失う。「こんなはずじゃない。自分にも何かできるはずだ」。そう信じる気持ちが残っていたので、田中良和氏はインターネット産業という成長分野に飛び込み、赤川隼一氏はDeNAという成長企業に飛び込んだ。成長産業なので競争は熾烈だが、その一方で努力や工夫に対する結果を、すぐにはっきりとした形で手に取ることができる。

 「自分にも何かができるはず」という気持ちを失っていないのなら、田中氏、赤川氏のように、厳しいけれど結果が必ず戻ってくるチャレンジングな環境にあえて身を置いてみる。それが自分らしさを取り戻す1つの方法かもしれない。

仕事はバンド活動よりずっとおもしろい

 実はネット業界には、音楽活動をやっていたという人が多い。ZOZOTOWNを運営する株式会社スタートトゥデイも、代表の前澤友作氏がバンド仲間と創業した。株式会社セプテーニ・ホールディングスの佐藤光紀氏も10代のころからミュージシャンだった。高校、大学、社会人2年目までは、音楽活動が生活の中心だった。

 働く気もなく、就職活動もしなかった。ある日、自宅に届いたハガキに「セプテーニ就職説明会。交通費1000円支給」と書かれていた。ちょうど新宿にでかけてレコードを買うつもりだったので、交通費を浮かせる目的で就職説明会に参加することにした。

 就職に興味はなかったが、とはいえ生活の基盤は必要。なので当時は従業員が十数人しかいなかった同社に「潜り込むことに決めた」。「仕事はおもしろくないもの」という固定観念を持っていた佐藤氏だが、会社の仕事と音楽活動の二足のわらじの生活を続ける中で、だんだんと仕事がおもしろくなってきた。「仕事はだれかが決めたものを続けるだけ、という先入観があったんですが、実はすごくクリエイティブなものだって思ってきたんです。何もないところに絵を書き、レールを敷いて、電車を走らせる。ある意味音楽よりも、もっとクリエイティブで、もっと世の中に影響を与えられる。それに気づいた瞬間に、音楽をやめようと思いました」。入社2年後、佐藤氏24歳のときだった。「新規事業をやってみたいんです」。佐藤氏は当時の社長にそう願い出て、ネット事業に乗り出すことになった。

 ネットの可能性に魅了されたということと、音楽の限界を感じていたことが、佐藤氏の転機の背景にあった。

 「音楽をしながらもなんとなくモヤモヤしていたんです。自分の中で音楽というフォーマットはもう伸びないことは分かっていたんです。もう過去の業績を超えられない。レジェンドと呼ばれる過去のアーチストを、現在のアーチストが超えられていないんです。それは市場が縮小しているのでセールス的にも超えられないし、自分の主観だけど音楽の質も超えられないと思った。これじゃ世の中にあまり刺激を与えられないよなと分かっていたんだけど、認めたくない時期が続いていたんだと思います」。

 新規事業がうまく回り佐藤氏は同社の社長に就任することになったが、「会社の経営と音楽は同じ。バンドしている感覚とまったく変わらない」と言う。音楽はコンセプトを決めて曲を作り、いい感じで演奏できるメンバーを集めて、スタジオにこもってアレンジし、人前で演奏する。それが受けて拍手されることもあれば、ブーイングを受けることもある。「会社の仕事の中で、事業を作る行為、その結果世の中に影響を与える行為は、概念としては音楽活動とまったく同じ」と佐藤氏は言う。

 「仕事はおもしろくないもの」という固定概念は消え去った。「そもそも仕事を仕事と思っていない。仕事か趣味かという2択の概念もない。よくワーク・ライフ・バランスって言われるけど、仕事と生活をバランスするより、一体化させたほうが楽しい。ワーク・ライフ・インテグレーション、ワーク・ライフ・ミックスのほうが楽しいって考えています」

 DeNAの赤川さんも学生時代にバンド活動を少ししていた。クリエイティブなものを作り、発信し、フィードバックが返ってくるというサイクルは音楽も仕事も同じ、と言う。「いい曲ができたという感覚とか、いいライブをやっているときの気持ちのよさ。それと仕事で新しいサービスをローンチして、みるみる人が入ってくるときの興奮って、同じようなもの。単純に楽しいんです」。

強敵に叩きのめされれば戦闘力が上がる「ドラゴンボールの世界」

 もちろん仕事は楽しいことばかりではない。大変なことも起こるし、失敗もある。でも失敗は、人生の肥やしになる。

 ヤフー・ジャパンとモバゲーの連携は大きなニュースになった。その仕掛け人としてDeNAの赤川隼一氏はテレビでインタビューされるなど脚光を浴びた。ところがその一方で大変な事態が待ち受けていた。

 大規模システム障害が起こったのだった。30ー40人がすぐさま対応に当たったが、原因がなかなか特定できず、3,4日はほぼ徹夜の状態が続いた。提携先のヤフーに守安社長と2人で謝罪に出かけたが、ヤフーに着くやいなや50人ほどのヤフー社員に囲まれた。とにかく頭を下げるしかなかった。「首をつろうかと思うほどつらかった」と言う。

 でもそのおかげで強くなった。「今でも大変なことはあるんだけど、つらくなったらそのことを思い出すと、全然怖くないんです。あのときのほうが辛かったなと思うものを持ってしまえば、人間なんでもできるんだと思います」。

 セプテーニの佐藤氏は、会社が大きくなっていくと発生する問題もグレードアップしていく、と指摘する。「これ過去最大級の問題だなっていつも思うんです。それでその問題をクリアすると、会社やチームとしての質やレベルが明らかに上がっている。問題が再発しないような仕組みができあがるんです。まるでドラゴンボールの世界です。強い相手に負かされて倒れても、もう一度起き上がったときには戦闘力が上がっているんです。それでこのことが分かると、大きな問題が起こっても『あっ次これきた。フーン』て俯瞰して物事を見ることができるようになるんです。『これクリアすれば、またオレたちレベルあがっちゃうね』と思えるようになる。クリアしたときの気持ちのよさを覚えているんです」。

 問題に対しても過度に悲観せず冷静に対応できるようになるし、また物事がうまく行っているときにでも浮かれなくなる。物事に一喜一憂しなくなり、平常心が備わってくるのだという。なので佐藤氏は部下が大きな問題を起こしたときには一方的に叱るのではなく「誠実に対応する一方で、この問題をエンジョイしろ」と励ますのだという。

 ネット業界には、こうした修羅場を楽しむ術を心得ている人が多い。DeNAの赤川氏は「(修羅場を)一度味わうと平穏な毎日がつまらなく思えるようになる」と言うし、Klab株式会社COOの五十嵐洋介氏は「火事場じゃないと喜べない体になってくる(笑)」と言う。

 こうした修羅場をくぐってきた人たちの話はおもしろい。エゴンゼンダーインターナショナルの小野壮彦氏は仕事上、40代、50代の日本企業の役員と会うことが非常に多いが、「率直なところそういうひりひりした経験とか過剰な経験を、20代、30代、40代にやったことがある人って、ネット業界以外で日本でみるとすごく実は少ないんです」。一方で60代以上の経営者と話をすると、そうした修羅場の話が数多く出てくる。「(家電メーカーなどの)60代の人たちのお話はものすごくおもしろい。黎明期の業界でやっている人たちと、それ以外の業界でサラリーマンをやっている人たちとの違いって大きいなと思います」と言う。

 業界によって雰囲気が違うということは確かに存在するようだ。ライフネット生命保険株式会社の岩瀬大輔氏は、「いろいろな業界の人と飲んだりしますが、この(ネット業界の)人たちと飲んでも愚痴は一切出てこない」と言う。自分で自分の人生をコントロールしているので、愚痴が出ないわけだ。

挑戦して負けても死なないが、挑戦しなければいずれ死ぬ

 2つの意味で挑戦し続ける人生をおくるべきだと赤川氏は言う。

 1つはチャレンジ自体が楽しいから。「日本では失敗しても死ぬことはない。先人が作り上げてくれたすばらしい社会がある。死なない環境でチャレンジし続けることができるのはすごく幸せなことだと思う」(赤川氏)。

 2つ目の理由はチャレンジしないと、だんだんと不利になるから。グローバル化と機械化、自動化、低額化の波は否応なく押し寄せる。アジアの低賃金層がスキルを伸ばす中で、日本に住むわれわれが挑戦し続けて自分の付加価値、スキルを上げ続けない限り、所得が下がるのは避けられない。

 前向きな人生は楽しいし、挑戦して失敗しても死ぬことはない。反対に挑戦してスキルアップしない限り未来は暗くなるばかり。これが今の日本の状況だと赤川氏は言う。

 IVSワークショップでは、このほかにも起業家のみなさんからすばらしいメッセージが贈られたが、ここですべてを掲載できないので、ぜひアーカイブされた動画を見ていただきたいと思う。

蛇足:オレはこう思う

「大過ない」って人生は、ダルゲーなんだと思う。強い敵にコテンパンにやられることがない半面、ステージをクリアする喜びもないんだから。だからやる気がなくなるし、閉塞感に包まれるようになる。

 ネット業界の人って本当に愚痴らないし、人の悪口を言わない人が多い。物事を人のせいにするのではなく、問題をビジネスチャンスとして前向きに捉える人が多いからだろう。

 社会全体が閉塞感に包まれている中で、若い人たちにはこうした元気な大人を見てもらいたい。

 IVSのワークショップは年に2回あるので、ぜひ申し込んでもらいたいし、IVS自体にインターン、ボランティアとして参加するのもいいと思う。

 伊藤弥生さんという滋賀の大学生は昨年のIVSにインターンとして参加し、いきいきとした社会人を数多く見てネット業界への就職を決めたんだという。同じような人がどんどん出てきてほしい。みんなで日本を元気にしていきたい。

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