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自分が死んだとき何を残したいですか?:MIT 石井裕教授 「未来記憶」【梶原健司】

[読了時間:3分]

1月26日に開催された「◇◆MIT石井教授×リクルートマーケティングパートナーズ◇◆ ~“10年先未来”の「ライフイベント」と「テクノロジー」を語ろう~」に参加された「カジケンブログ」の梶原健司さんに当日の模様を起稿してもらいました。(本田)
※石井氏の承諾を得て、スライド画像を掲載しています。

梶原健司
(@kaji321)

 独創的であることが、今ほど求められている時代もないと思う。

 国家や企業のレベルで言えば、欧米の背中を追いかけてきた時代はとうの昔に終わりを告げ、目指すべきモデルを見失い、苦しんでいる。

 個人のレベルにおいても、新興国の中間層が爆発的に成長を始め、それらがグローバルなネットワークに繋がり始めたことで、彼らと同じ仕事しかできない人は所得の下降プレッシャーや最悪仕事を失うことになる。しかも機械が人間の仕事の大半を代行する未来も現実味を帯びてきた。

 ある意味、我々は人類史上の最先端にいる。追いかけるモデルがない時代に最も求められることの一つは、「自分にしか出来ないものは何か?社会に周囲に提供できるユニークな価値はなんなのか?」そのことを国家、企業、個人、全てのレイヤーで問い続けることだと思う。

 アカデミックな世界はまさに独創的でないと生き残っていけない場所である。そんな厳しい世界で、MITの石井裕教授は、現在のインターフェースの主流であるGUIに伍して、タンジブル・ビット(Tangible Bit)という革新的なコンセプトを15年前に打ちたて、世界的な研究者として活躍している(その長年にわたる貢献が評価され、2001年に日本人で初めてMIT Media Labの終身在職権を取得。現在MIT Media Lab副所長。)。

 現代社会に変革をもたらしている最も大きな要因の一つは、間違いなくInfomation Technologyである。その変化の波に呑まれるのか、それとも波を乗りこなし、最先端の場所にまで独走するのか。そのためにはどんな思考、行動が必要なのか。

 石井教授の言葉は本質的で時に哲学的でもある。そこにはITの世界に関わる人間として、そして日本という先進国で生きる我々にとって考え続けるべきメッセージがあるように思う。石井教授の目に見えている世界とは?そして独創的であるためには何が重要なのか?先日のリクルートマーケティングパートナーズでの講演内容を中心に、他メディアからの引用も織り交ぜながら、まとめてみた。

世界とは破壊的な変化をするものである。

 東北で地震、津波、そして福島での原発事故が起きたとき、未曾有、想定外といった言葉が飛び交った。しかしそんなものはナンセンスです、と教授はいう。

 「すべて言い訳(Excuse)にすぎないのです。なぜなら歴史を振り返れば、世界には何度となくそういったクライシスやカタストロフがやって来たことが分かる。想定外で破壊的な変化は必ずやってくるのです。」

 「『どうやって破壊的な変化から立ち上がるのを早くするのか。次に来る変化をどう乗り越えていくのか?』これが、特にこれからの時代には重要な考え方です。強くて頑丈でという形ではなく、倒れてもどれだけ早く立ち上がれるか。明日のジョーの矢吹丈のように。そんなResilientな(弾力のある)世界をわれわれは目指すべきです。」

地図なんか捨ててしまえ。コンパスを持て。

 「自分も周りも環境も世界は常に変化し続けています。それは断続的、離散的な変化であり、連続的ではない大きな変化が起き続けているのです。そんな世界では、未来を正確に予測したり、それを前提に緻密な計画を立てることにはあまり意味はありません。」

 教授は、MIT Media Lab所長の伊藤穣一氏の「地図なんか捨ててしまえ。コンパスを持て。」という言葉を取り上げる。

 「正確な地図を持とうとするよりも、自分はどちらの方角に行くのか。行きたいのか。そういった視座を持つことが重要なのです。そして常にどこに向かおうとしているのかを自らに問い続けなければいけないのです。そういった哲学のようなもの、ビジョンを持つべきです。例えば企業で言えば、Googleは世界中の情報を整理するという高邁なビジョンを持っている。自らは何のために存在するのか、その軸をぶらさないことが大事なのです。」

理念駆動。素晴らしいビジョンの持つ力。

 教授は例として、自分にとってのヒーローと呼ぶ天才科学者が提唱した50年前のビジョンを紹介してくれた。それは、Collective Intelligence(集合知)。提唱した科学者はダグラス・エンゲルバート(Douglas Engelbart)。

 「デスクトップPCに必須のデバイスであるマウスの発明や、現代のWebの原型となるハイパーテキストやGUIの開発で著名な素晴らしい科学者です。当時はコンピュータといえばメインフレームをミサイルの弾道計算などに使うような時代でした。今のようにスマートフォンという名のコンピュータを個人が使いこなすなんて誰も考えていなかったときに、世界のクライシスに立ち向かうには人間の叡智を集めなければいけない、そのためにはコンピュータとコミュニケーションテクノロジーこそが大事なのだ、という素晴らしいビジョンを提示したのです。」

 彼がCollective Intelligenceのビジョンを打ち立ててからこの50年の間に、様々なテクノロジーやアプリケーションが生まれては消えていった。しかし、このビジョンは現在も世界に影響を与え続けている。

 過去のレッスンから如何に学ぶか。それが重要なことなのです、と教授はいう。

 「東北の津波の際には「ここより下に家を建てるな」という石碑を無視してわれわれは家を建ててしまいました。語り継がれてきた過去からの教訓を活かせなかったのです。石碑による過去からのメッセージは残念ながら受け継がれなかったが、しかし311においてICTは大活躍をしました。」

 「Twitterで世界中からメッセージが届けられ、国内でも安否の確認などに活用され、またpray for japan助けあいジャパンなどを始め、情報のアグリゲーション、マッシュアップなどの素晴らしい取り組みがありました。次に必ず来る危機を人々の叡智を集め、どう乗り越えるのか、Collective Inteligenceをどう実現していくのか、現代においてとても大事な課題であるのです。」


「この前亡き母の命日に、知らない方からお花が届いたんです。」

 石井教授はクラウド上にお母さまのお墓をつくっている。TwitterのBotをつくり、生前よくお母さまが自作していた短歌をランダムにそのBotがつぶやくようにしているのだ。お花はそのTwitter botをフォローしている方から贈られたものだった。

 「母が生きている。そんな感覚でした。僕はそのことにとても感動しました。

 「人間というものは有限の存在です。死んだらその人自身の記憶もなくなってしまうし、さらには時間が経つと、その人に対する周囲の記憶も薄れていってしまう。しかし、この命日にお花が届いたことがきっかけで個人のメッセージや思想が、その人の死後も永遠に世界に良い影響を与える「可能性」を感じたのです。

パリのルーブル美術館に行ったときに、自分のひいおじいちゃんや、亡くなった恩師が、同じ場所にたたずんでどんなことを思ったか、彼らのツイートをひもとける。そんなサービスがあったらどうか。またガウディの建物について、世界中の建築家や写真家が、思いをみんな綴っている。それを共有する。クラウドとソーシャルメディア、それを使ってどんな価値を見いだせるのか。情報流水が還流するエコシステムの中で、どんなものが創造できるのか。

出井伸之×石井裕 日本からは見えていない世界の視点|【Tech総研】

 情報を流水というメタファーで捉えると、引いて見るとそれは蛇行している大きなアマゾン川のようでもあります、と教授はいう。「水は循環しています。(個人の記憶としてだけでとどまっている)ローカルキャッシュに入っているものと、全く違うものが見えてきます。情報は共有されたがっている。再編集されたがっている。再発信されたがっている。何世代にも渡って語り継がれていくことを夢見ているのです。」

 確かに、人間が他の動物と大きく異なるのは、知識や知恵の伝承を綿々と行なってきたことである。様々な失敗、成功、個人の経験を同世代だけでなく次の世代へと伝えることで、環境の変化に対応し、飛躍的に進化を続け繁栄してきた。ソーシャルメディアの普及を始めとして、今後さらにテクノロジーの進化がそれを後押ししていくのだろう。

 では、そういった世界観の元、個人としてどうすれば良いのだろうか?教授が大切にしている考え方にそのヒントがあると思う。

 「本質的な問いを常に自分に問い続けることです。受験の世界では必ず答えが決まっていますが、現実世界ではそんなことはあり得ません。だから完璧に回答できなくてもいい。部分解で構いません。そして、なぜ?と問い続けること。続けているうちに最後には哲学にまで到達します。」

 「メタファーも大事です。この世界に偶然はありません。全てのことに意味やメッセージがあると考え、常に自分なりの問題意識を持っていれば、どんな情報にも何らかの意味を必ず見出すことができるはずです。」

僕が名づけた「隠喩概念空間連続跳躍の技」という独創思考の訓練法があるんですよ。隠喩、連想、跳躍をキーワードに、見たもの、感じたものを、連想を使って他のものと結びつけていく、連続跳躍を行う知的訓練です。

変化のベクトル、未来のコンパス~MIT石井裕教授インタビュー 後編 | プレタポルテ by 夜間飛行

自分にラベルを貼るのをやめましょう。何をやるにしても、クリエーティブであろうとしたら、自分の肩書や専門にこだわってはいけない。例えば、「自分はエンジニアだから技術だけ分かっていればいい。アートのコンセプトへの貢献は期待されていない」と思った時点であなたは終わっています。仕事というのは総合芸術なのです。

日本の若者たちよ、慣れ親しんだ環境から世界へ出よう:日本経済新聞

 「例えば我々の研究の現場では、コンピュータも電気機器もエレクトロニクスも全部自分でできなければいけない。それが出来ない人はアメリカで英語が話せないのと同じぐらい悲惨な立場になる。それぐらい基本的なリテラシーなのです。」

 確かに、独創的な発想、アイデアなどは大人数での会議などから生まれてくるものではない。しかし1人で部屋にこもって黙々と自分のアイデアを追求していけば良いのだろうか?

 「自分が望む未来を想像し、それを実現するための自らのアイデアを他者と徹底的に議論をし、批判の機会を求めそこからさらにアイデアを磨き上げていくことがとても重要です。Why? So What? Who Cares? という問いに応え続ける。もちろんこれはものすごい苦しい行為ですが、日本人はここが弱い。自分のアイデアをあまりに愛しすぎるあまり、アイデアを批判されると自分自身が攻撃されたと勘違いしてしまいます。」

あなたのジアゾ感光機は、何ですか?

 日本の今の不幸は、豊かであることです。飢餓感を持てない。この現状をどうやって乗り越えていくのかは今後の課題だと思います。

 自分のいる環境に不満を持っていて、何とか這い上がろうとしている人たちのハングリー精神はすさまじい。アジアに限らず、どの国もそうです。もちろん、日本にも世界を目指すチャレンジャーはたくさんいます。ただ、相対的に日本人の影が薄い背景の1つには、「豊かすぎる」という要因があると感じます。」

 教授ですら全然叶わないと思った人の中に、サイゴン陥落時のボートピープルを親に持つ学生がいるそうだ。文字通り地獄のような環境から這い上がってきた人達。強烈なハングリー精神を持って母国を飛び出し、アメリカなどで切磋琢磨している。そういう人達が今はごまんといる、という。

 「日本人は能力で劣っているわけではなく、豊かなこの国でどうやって飢餓感を持てるかが大きな課題なのです。」

 では石井教授の飢餓感はどこからくるのだろうか? 私の原点は、ジアゾ感光機です、と教授はいう。

 「最初に入社した会社での三年間は、ジアゾ感光機(昔のコピー機のようなもの)のメンテナンスをただひたすらする毎日でした。」(編注:ジアゾ感光機の例

 「要は液漏れとか紙詰まりを直すエキスパートです。周りの人達は研究に専念して博士号を取ったりしている中、本当にむなしかった。自分は研究がしたい。こんなことのために生きているんじゃない!という屈辱感。それをポジティブなエネルギーに変え、自分への誇りを胸に頑張りました。周りの研究室に頭を下げてコンピュータを使わせてもらい、業務が終わってから夜中まで毎晩必死に勉強を続け、研究論文を海外で発表することができた。それがベルギーの会議で通ったことが、今の私に繋がっています。」

 「出る杭は打たれると言いますが、出すぎた杭は打たれないのです。そしてそのためには飢餓感、屈辱感、自らへの誇りを持つことが大事なのです。」

 「孤独に耐える力も必要です。誰かが引いた100mトラックを人より速く走る事は、 真の競創ではない。誰も分け入った事の無い原野を一人切り開き、まだ生まれていない道を、一人全力疾走すること、それが競創だ。そこには観客も審判もストップウォッチも存在しない。」

 有名な逸話がある。教授はMITにヘッドハンティングされたときに、MIT Media Lab創設者であるニコラス・ネグロポンテにこう言われたそうだ。

 「『君が取り組んできた研究の面白さは分かった。でもMITでは同じ研究は絶対続けるな。まったく新しいことを始めろ。人生は短い。新しいことへの挑戦は最高の贅沢だ』」

 MITは6~7年で「最高レベル」の研究実績を客観的に証明できなければ、大学を去らなければいけない。にも関わらず、既に積み重ねてきた実績と経験がある研究を捨て、全く新しい領域にチャレンジする。

 しかも教授は英語もネイティブではなく、かつ世界最高峰の頭脳が集うMITでの研究なのである。一つ面白いエピソードがある。

MITに来たのが、16年前。1995年です。けっこう落ち込みましてね。なぜかというと、学生のほうが、頭がいい。数学も、ハンダづけも、プログラミングも、電気も、みんなぼくよりできる。教授という人は、尊敬されないと、仕事はないわけです。ですからぼくはアトランタオリンピック仕様の卓球台を買ってですね、全員と真剣勝負して、打ちのめして、畏敬の念と尊敬を勝ち得て、強いチームを作ることに成功しました。

ほぼ日刊イトイ新聞 – 石井裕先生の研究室。

 これは教授一流の笑い話かも知れないが、数ヶ月間文字通り寝食の時間を極限まで削るほど徹底的に考え抜き、ついに「Tagible Bits」というGUIに匹敵する概念を見事に打ちたてる。そして世界的な研究者としての評価を確立する。

 それはまるで、誰もまだ見たことのない山を海抜ゼロメートルから自らの手で造り上げ、そしてその山に世界で初登頂するようなもの、と教授はいう。凄まじい情熱だと思う。その根底にある教授の想いを最後に紹介したい。

Life is too short.

 無限大の宇宙を考えれば、我々の人生なんてほんの一瞬です、と教授はいう。

 「私は今57歳です。2050年には、きっとこの世にはいません。」

 「しかし2200年を考えれば、今生きている人はみんな同じようにこの世にいないでしょう。」

 「だけど、未来は永遠に広がっています。」

 「2200年を生きる未来の人々に、あなたは何を残したいですか? どのように思い出されたいですか?

 「自分の死で終わりではありません。私はその未来に対して責任を持って、何を残していけるのかをずっと考えながら生きていきたいと思っています。」

 とても全てのメッセージを紹介しきれない濃密な2時間半。1部、2部、質疑応答も含めて全ての内容がUstreamで公開されています。今回紹介できなかった内容もたくさんありますので、ぜひ一度ご覧になって下さい。
USTREAM: MIT石井裕教授×リクルート ~“10年先未来”の「ライフイベント」×「テクノロジー」を語ろう!(http://www.ustream.tv/channel/lifeevent-tech

蛇足:カジケンはこう思う。

 いやー、本当にすごかった!

 色んなメディアで石井教授のメッセージは折りにふれ目にしていましたが、目の前で聴く生の教授の講演は圧倒的なエネルギーに溢れていました。年に数回は来日されているようなので、機会があればぜひ一度ご講演に足を運ばれることを強くオススメします。

 テクノロジーは人や社会に影響を及ぼせなければ意味がないわけで、その言葉はテクノロジーの可能性という意味での技術のこれからだけでなく、人としてどう生きるかべきかという哲学にまで及びます。

 「んー、凄いとは思うけど、自分とは別世界の特別な人。自分にはこんな生き方や考え方は無理!」と捉える方も、もしかしたらいらっしゃるかも知れません。そんな方にはMITがある同じボストンのベンチャーキャピタルで働いていた古賀洋吉さん(@yokichi)の言葉が参考になるかも知れません。

 「自分は誰か?それは、自分が生まれた世界と、生まれなかった世界の差によって定義される。柱につけた身長を刻む傷、他人の心に残る言葉やツイート、なんでもいい。死後に残った差の集合体が自分だ。よい差を残せると良いな。Make a difference. Be the change.」
https://twitter.com/yokichi/status/110218765895090176

 もちろん人によってどこまでの範囲を想定するかは違うでしょう。それでも未来はずっと続いていくわけで、本当になんだっていいけれど、できることならたとえ小さくても、「よい差」を残したいと自分も思います。 だからこそ石井教授の言葉から学べることはたくさんある。誰にとっても、とても大切なメッセージがたくさん詰まっている。そう思うのです。

 あ、普段はこんな感じのくだけたブログも書いています。よろしければこちらもぜひ覗いてみてくださいませ。
カジケンブログ(http://kajikenblog.com

著者プロフィール:梶原健司

通称カジケン。アップルジャパンにて、ビジネスプランニング、ソフトウェア・インターネットサービス製品担当、新規事業立ち上げ、iPodビジネスの営業責任者等を経て、2011年に独立。現在、アップル出身者によるスタートアップに参画のかたわら、人と人をつなぐ新しいコミュニケーションの仕組みを創りだすべく、活動中。


Blog: 「カジケンブログ」 (http://kajikenblog.com) Twitter: kaji321 (https://twitter.com/kaji321

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