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これから始まる重い負担と新しい希望、在宅勤務(テレワーク)25年超経験者の生存術

新型コロナウイルスの感染拡大を迎え、全国的に在宅勤務やテレワーク・リモートワークを余儀なくされている。大きなストレスに加え、「家庭の中で業務をどう進めていったらいいかわからない」といった問題や課題を、私たち一人一人が乗り越えていかなければならない。

筆者(TechWave代表)は、実は、テレワーク・リモートワーク主体の働き方をのべ25年以上続けている。うち15年は、家庭の問題で、育児や看病をしながらテレワークだけで生計を立てなくてはならなかった。このような経験は、おそらく今、密室で、家族らと共に生活しながら在宅で勤務する人々にプラスになることもあるのではないか?そう思い、この記事を書き始めている。

在宅勤務・テレワークで注視すべきこと

まず始めに、結論となる3つのことを説明したい。テレワークを始めたばかりの人にとっても、今後重要なテーマになるだろう。

1. テレコミュニケーションは心身共に負担が大きい
2. 在宅勤務は家庭や地域コミュニティを巻き込むことになる
3. “仕事とは何か?” を考え直す必要がでてくる

なぜこの3つが大切になるかというと、一か所に集まらないで仕事をし続けることで、じわじわと大きな課題へと発展していくものだからだ。

経験とスキルの向上、マインドセットの展開によって、これらを乗り越えることで、新しいより豊かで成果が生まれやすい働き方を見出すチャンスにもつながる可能性がでてくるのだ。

1. テレコミュニケーションは心身共に負担が大きい

テレコミュニケーション(電話・ボイス会議・ビデオ会議)は、フラットに発言機会が与えられる特徴がある。誰かが発言し、誰かがそれに応える、といった情報のキャッチボールというイメージを持つ必要がある。

一方、日本における会議では、発言者はごく一部で、あとの大多数は話を聞いているだけというパターンが多い。また、時間やゴールを設定せず、“会っておしゃべりする”=会議という古いイメージを持っている人もいるだろう。ファシリテーターが全て仕切っていたとしても、発表会かおしゃべり会に終始するケースも多い。

テレコミュニケーションは、全員に発言権と責任が均等に付与されるため、気を抜く瞬間が減っていく傾向が生まれる。情報も“おしゃべりの一環”では無く、シンプルにコンパクトに伝えないとキャッチボールが成立しなくなるため、同じ“会議”でも常に集中量を高める必要がでてくる。よくテレコミュニケーションの会議(=テレカン)で、「ノドが枯れる」という人がいるが、単にマイクやスピーカーだけのの問題ではないケースも多いのは事実だ。

こうしたテレコミュニケーションにおけるリテラシー(読み書き能力)は、ある程度の経験が必要となり、うまく対応できるかどうか業務の推進にも大きな影響を及ぼすことになる。特に、継続的にリモートワークを続けるとなると、高負荷なテレコミュニケーションをいかに短時間でコンパクトに終了さえる必要がでてくる。もちろん効果や効率を落とさずにだ。

■ 2. 在宅勤務は家庭や地域コミュニティを巻き込むことになる

在宅勤務を始めたばかりだと、パソコンやデスク、椅子などの調達をまず考えるだろう(その秘訣は別の記事で)。もちろん、外出もせず、ずっと仕事をし続けることは身体にとって大きな負担となるわけだからとても大切なことだが、もし家族がいる場合、その“本気度”が同居者に精神的な負担を与えることを忘れてはならない。

仕事は内容にかかわらず、時間に追われたり、緊迫したりすることが多々出てくる。単に、夢中になって、カチャカチャキータイプをしまくることもあるだろう。

しかし、そういった仕事への熱中度が、同居している人にとっては、見えないストレスとなっている。家の中に“小さな企業”がそびえ立つということは、たとえ別の部屋で区切られていたとしても、分断はできなくなってくるのだ。

「私は仕事だけ頑張る・あなたは家事頑張って」と、公私を分断してきた人には、その方法が使えなくなる。在宅勤務者は、家事も育児も、生活も全てを共同で進める必要がある。そうしないと、共同生活者の心身負担は蓄積され続けてしまうのだ。もちろんこのような配慮は近隣コミュニティに向ける必要も出てくる。

■ 3. “仕事とは何か?” を考え直す必要がでてくる

そうなると、単に目標値だけを掲げ、業務サイクルを回すだけの仕事は、在宅ワークには向かないのではないか?という発想が頭に浮かぶことになる。周りを顧みずに自分の仕事をフルアクセスで進めることが全ての正解であるということはなり得なくなっていくのだ。

ここはペーパーワークやタイムカードの在宅ワーク対応といった技術的もしくは文化的な課題よりも大きなテーマとなる。在宅勤務では、100%のオフィスは成し得ない。時には子供達の世話をする必要もある、大切な家族と生活をしなくてはならない。そういった日常生活の課題を乗り越え、新しい仕事像、誰のために何のために仕事をするか、仕事はどうあるべきかを考えなくてはならなくなる。

これには、事業全体を鳥瞰できるプロジェクトマネジメントツールが不可欠だ。昨年日本に上陸した「Asana」を筆頭とした、これらのツールはタスク管理を軸に、組織の流れやその構造を俯瞰しマネジメントできるようにしてくれる。業務レポートの公開といったムダな作業が消え、業務をよくするための仕事ができるようになる。

実は、日本はアメリカなどを中心に使われているプロジェクトマネジメントツールが全くと言っていいほど浸透していない。おしゃべり(会議)をして、タスクをどんどん回していくというスタイル。最近、日本の会社では、slackをいれて全てやる、というケースがやたら目立つのはその際たるもののように感じる。

在宅勤務・テレワーク・リモートワークでの経験

筆者のテレワークの経験の経験の中で、最も印象深いのが米国カリフォルニア州のシリコンバレーでの終業経験だ。1990年代頭から、Googleが生まれ、Appleにスティーブ・ジョブズが復帰した2000年前後までの経験だ。

シリコンバレーは、サンフランシスコ以南の複数の市を含んだエリアのことをいう。自然がとても豊かで、海もある。日本でいえば、つくば市などを含めた北関東のような雰囲気もある。1990年代は、ドットコムバブルがはじける前までは、ちょうど今の日本みたいなスタートアップブームだった。個人が集まり会社をつくり、M&Aや資金調達をねらっていた

多くのアメリカ人との交流があったが、みんなファミリーのようだった。家族になにかあればすぐに飛んで帰り、仲間はそれを全力でサポートする。暖かいながらも、仕事に対する意欲は非常に強いものがあった。当然ながら、休日に仕事を推進するようなことはなかった(当然仕事関連のイベントを休日にやるなんてことはない)。

また、彼らとの仕事は常にフェアだった。日本のように「あ、あの件ね、こっちで決めたから」がまったくない。私が出張していようと、日本にいようと、かならずテレカンファレンスコール(当時は携帯電話)が入り、関係者全員に説明があり、その場で議決を行っていった。取り残される人は一人もいなかった。

911で帰国してからは、インターネットマガジンなどを筆頭とする多くの雑誌でテレコミュニケーションの記事を執筆し啓蒙活動を展開してきた。以降、私は地方(栃木県)に住み、国内外の仕事をするようになった。育児と看病で何年も外食や飲み会にすら出られなかった。テレワークがなければ、このスタイルを続けることができなかったと振り返る。

アフターコロナ、テレワーク・在宅勤務の先にある新しい働き方

現在の新型コロナウイルス感染拡大時における、在宅勤務を余儀なくされている状況は極めて特殊な状況だ。しかし、このような経験を通してしか得られないことも多数ある。

一か所に集まることができない、外出できない、飲み会ができないことで(ZOOM飲み会が流行っているようだが)、前述したような(こそこそ、一部の人がどこかで話が決まるような)アンフェアな仕事の在り方にNOを突きつける流れは遅かれ生まれるだろう。

「難しいことは考えないで仕事回せ」というビジネスカルチャーが戦後の高度経済成長期からずっと続いている日本は、今回の在宅勤務を通じて大転換を果たすように思う。家族や近隣コミュニティというもっとも大切な存在と共に、さまざまな人の価値を見出し、敬意を払い、新しい働き方や生き方を生み出すだろう。それは、人類対未知のウイルスという戦いの中にある新しい希望であるように思う(了)

【関連URL】
・[公式] プロジェクトマネジメント「Asana」

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