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電子書籍元年がおわって電子書籍2年になったけれど……【浅沼】

[読了時間:7分]

津野海太郎著『電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命』(国書刊行会 2010年11月刊)

 手塚治虫のライフワークとして知られる『火の鳥』というシリーズ作品がある。
 最初の「黎明編」ではヤマタイ国とクマソ国の争いを背景にした人間ドラマが描かれるが、次の「未来編」で舞台は西暦35世紀に飛ぶ。核戦争によって地球生命は滅亡してしまい、その後は生命の誕生、進化の物語が数億年の単位ですすんでいく。かと思えば3番目の「ヤマト編」で古墳時代の日本にもどる、というふうに物語の舞台は未来と過去を行きつもどりつし、少しずつ現在に近づいてくる。
 宇宙と生命の深淵にせまる壮大なスケールの作品で、最後は「現代編」で完結するという構想だったが、手塚氏の死去によって未完となった。

 今回とりあげる『電子本をバカにするなかれ』を読んで、僕は20年以上も前に読んだ『火の鳥』を思いうかべた。
 電子書籍元年と世間がおおさわぎしていることを尻目に、書物の来し方と行く末を千年単位で俯瞰する著者のまなざしに、人類と生命の歴史を数億年単位で描いた手塚治虫に通じる明哲さを感じたからだ。

 今日は、電子書籍を「書物史の第三の革命」と位置づける『電子本をバカにするなかれ』を中心に、これからの「本」の運命について考察する関連図書2冊も紹介する。

書物と人類のかかわりを千年単位で見てみると

 『電子本をバカにするなかれ』著者の津野海太郎(つの・かいたろう)氏は1938年福岡生まれ。早稲田大学卒業後、編集と演劇に携わり、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長を務めるなど、もう70歳を超えているというのに出版とコンピュータの関係にも詳しい評論家である。1996年に『本はどのように消えてゆくのか』というぶっそうな題名の本を出しているだけあって、「本」という媒体のゆくえには人一倍関心を持っている。

 『電子本をバカにするなかれ』のタイトルが示すように、津野氏は電子書籍の影響力の大きさをみとめているが、その上で、この変化を5年や10年の目盛りで考えるのをやめることをすすめている。5000年をこえる書物史の大きな流れを見つめてみよう。100年、1000年の目盛りで考えてみれば、いまの変化が一体どれほどの深さや広がりを持つかかが見えてくる、というのだ。

 2010年は電子書籍元年と呼ばれるほど電子書籍への関心が高くなったが、本とコンピュータの関係を追いつづけてきた津野氏から見れば、けっして目新しいことではない。アドビがPDF技術を開発して以降、IT企業が「紙の本は死んだ!」という一方的な宣告を何度もしてきた。だから今回も「狼がきた!」の一種と見ることもできるのだ。

 そんな騒ぎをひとまず横に置いて、書物と人類のかかわりを長いスパンで見てみよう。
 まず、100年単位で見てみると……、

ところが、その二十世紀というやつが、じつはただの百年じゃなく、書物史や出版史の視点から見ると、たいへん特殊な百年だったということなんです。簡単にいえば、長い歴史をもつ本の力がかつてない頂点にたっした時代、つまり「本の黄金時代」です。

(引用に際し改行を削除)

 グーテンベルク革命からの100年間にヨーロッパで出版された本が35,000点なのに、20世紀後半(1950年~2000年)に世界で出版された本はおおよそ36,000,000点におよぶという。

 これだけ多くの本が出版され、読まれたことは、かつて無かった。津野氏が「頂点」と言っているのは、こんな黄金時代がいつまでも続くわけがない。そろそろ下降期にむかってもおかしくない、という意味を含んでいる。

 では「千年の目盛り」で見てみるとどうだろう。
 いままで5000年の時を刻んできた「本」の歴史には、2つの大きな転換点があった
 一つ目は、それまで延々と口頭でつたえられてきたことがらを、文字で記録するようになったこと。メソポタミア南端の都市国家シュメールで、粘土板に楔形文字で記録されるようになったのが紀元前3000年ころと言われている。口承から書記へ。人類最初の「本」が作られた「書物史の第1の革命」である。

 その後、粘土板がパピルスや紙に替わっていったり、巻物が冊子になったりという改良が加えられていったが、プロの書物史家たちが「第2の革命」と位置づけるのは、印刷技術の登場によって同一の文書をいちどに大量コピーできるようになったこと、手写から印刷への技術革新である。

 そして、「紙と印刷の本」から「電子の本」へと向かう動きを、津野氏は、

「書物史の第三の革命」ともいうべき、もうひとまわり大きな変化の一部

とみなしている。
 津野氏がなぜそう思ったのか。また、これから何が起こると考えているのか。詳しくは本書の「第三の革命の四つの段階」をお読みいただきたい。

書物が消えたあとの世界とは

 電子書籍が普及しはじめたからといって、急に紙の本がなくなるわけではない。しかし、津野氏は「本」がなくなってしまった後の世界を想像することによって、文字文明の意味あいを探ろうとする。

 「本」のない世界を想像するために津野氏が持ちだしたのは、レイ・ブラッドベリの『華氏四五一度』である。
 華氏451度というのは、紙が燃えはじめる温度のこと。この小説に登場する国家はエレクトリック・メディアを独占し、社会秩序を守るという理由で本を持つことを禁じていた。見つけしだい本を焼くファイアマンに抵抗し、ブックマンという一党が森の解放区にたてこもる。彼らの抵抗手段は本を丸暗記することで、プラトンの『国家』とかソローの『ウォールデンの森』など、めいめいが一冊の本そのものになることで想像力の自由をまもろうとする。

 小説はそこでおわっているのだが、津野氏は文字文明がほろびたあとの世界を、さらに考えてみようとする。古代ギリシャでは、ひとつの文字文明がほろびたあと、数百年たって新たな文字文明が起こったという事実が考古学的に確かめられている。
 同じように電子書籍の登場によって、知識や情報の伝え方、学び方などの紙の本がささえてきた文明が変質するかもしれない。その先にあらわれる世界のすがたは……。
 あとは『火の鳥』の「未来編」のように想像力で補うしかない。

紙の「本」の住人たちは電子の「本」をどう見ているか

 本は、これからどうなっていくのか? という不安は、紙の本に慣れ親しんだ人たちに共通のものだろう。書籍を世に送りだしてきた人びとがこれからの本の運命をどう考えているのか、というテーマでまとめられたのが、池澤夏樹編『本は、これから』だ。

池澤夏樹編『本は、これから』(岩波新書 2010年11月刊)

 表紙を見てわかるとおり、本書は伝統メディアを代表する岩波新書の「赤」というブランドから出されている。さすが岩波新書さん、読書人にも一目おかれ、あたらしい技術にも拒否反応を示さない知識人を編者に選んだ。池澤夏樹は、ワープロで書いた最初の芥川賞作家であり、Kindle や iPad も手に入れて試しているという。『本は、これから』というテーマをまとめあげる編者として、うってつけの人物であることはまちがいない。

 本書には、池上彰、上野千鶴子、内田樹、最相葉月、松岡正剛など、著者として本にかかわっている作家のほか、本を流通させる最前線に立つ書店主など、ぜんぶで36名の業界人たちが「本はこれからどうなるか」について寄稿している。

 いくつか、僕の印象に残ったフレーズを引用させてもらうことにするが、その前に確認しておきたいのは、岩波書店が池澤夏樹氏を編者に選んだ時点でこの本の内容は決まってしまったということだ。おおかたの予想通り、本への讃辞がつづられ、紙の本はけっしてなくならないという宣言や、残っていて欲しいという願いが表明される。
 紙の本を愛する人が安心して読める内容なので、(TechWave 読者のなかでは少数派かもしれないが)電子書籍ブームになんとなく不安を覚えている人に本書はお勧めである。

 では、印象的だった文章を3箇所だけ引用させてもらおう。

 最初は、昨年取りあげた『街場のメディア論』著者の内田樹氏。(関連記事:メディア批判の常套句を使わずにメディア凋落の原因を考える【浅沼】
 紙の本にあって電子書籍にない特長をいくつも述べたあと、最後に内田氏は次のように警告する。

口承が中心であった時代から、書きものに媒体が移ったとき、私たちの脳内で活発に機能していた「長い物語を暗誦する能力」は不要になった。それと同じように紙の本から電子書籍に媒体が移るとき、書物と出会い、書物を読み進むために、私たちが必要としていた機能の「何か」が失われる。私にはそれは失ってはならないもののように思われる。紙の本はなくならないと私は思っているが、それはコストやアクセシビリティや携帯利便性とはまったく無関係な次元の、人間の本燃的な生きる力の死活にかかわっている。

 紙の本は人間の生きる源泉、とまで言い切るとは、さすがタツルである。

 二つ目は、書評サイト「千夜千冊」の執筆者である松岡正剛氏が音楽と本を対比させた、次のような文章。

レコードがなくなりCDが売れなくなって iPod やケータイに音楽が流れるようになったからといって、それで音楽の何かが失われるようなら、音楽が終わりなのである。同様に、本や読書の世界が電子ネットワークに引っ越しするだろうからといって、それで執筆や編集や制作や枠組みのプロセスにひそむ本質が失われるようなら、読書が終わりなのである。そのときは Kindle も iPad もない。

 コンテンツを載せる器が変わったからといって、鑑賞のしかたに潜む本質は何も変わらない。むしろ、媒体が変わることは、「読書」にかかる何かを見つけだす良いチャンスだ、とセイゴオは前向きにとらえているようだ。

 引用の最後は、スタジオジブリ前社長の鈴木敏夫氏。

「本はこれから」の後に言葉を続けるなら、冷静にこう言いたい。「適正な規模になる」と。だから、岩波書店にはこんな本を作らずに、超然と屹立していてほしいというのが僕の本音だ。

電子書籍の未来を正面から論じてみよう

歌田明弘著『電子書籍の時代は本当に来るのか』(ちくま新書 2010年10月刊)

 本当に電子書籍は普及するのかしないのか、よく分らないながらも先行きを見とおしてみよう、というのが歌田明弘著『電子書籍の時代は本当に来るのか』だ。

 『本は、これから』のように紙の本を擁護する論調でもなく、反対に「電子書籍バンザイ!」と単純に礼賛するでもなく、なるべく素直に電子書籍の未来を考えてみよう、というのが本書の主題である。
 『電子本をバカにするなかれ』が『火の鳥』の「黎明編」と「未来編」とするなら、『本は、これから』が「近世編」で、『電子書籍の時代は本当に来るのか』が「現代編」にあたるだろう。

 歌田氏は本書第1章で、1998年に報道された「100億円規模の電子書籍の実証実験」からはじまり、その後なんども繰り返された電子書籍の試みをふりかえる。ケータイ小説とブログの意味などのコンテンツ側の変化も概観したあと、キンドル成功の理由、iPad の影響など、電子書籍をめぐる状況を整理する。
 第2章ではあらゆる書籍をデジタル化しはじめたグーグルの活動が大騒ぎになった経緯をふりかえり、グーグルがアマゾンや楽天のライバルになる可能性を示唆している。
 さいごの第3章では、「無料」が常識となったインターネット上でニュースやコンテンツを有料で買ってもらえるのか、というマネタイズの問題を深掘りする。電子書籍がビジネスモデルとして成立するかどうかを考察し、最後に「読書端末の登場でウェブが変わる?」と問題提起して終えている。

 本文のさいごで歌田氏は、

こうしたメディア技術の歴史を顧みると、無料で利用するものと思われていたウェブが、いつのまにか有料コンテンツの流通ルートに変貌しているということもありえなくはない。

とか、

日本はアメリカに比べて広告依存度が小さかった。アメリカほど広告が集まらないとなれば、日本ではとくに課金への依存度が高くなったとしても不思議ではない。

と予想を示したあと、

携帯端末への課金は、ウェブ上のニュース・サイトの変容をも促す。電子書籍が紙の本の電子化ということにとどまらず、ウェブの構造変化を引き起こすこともありえなくはない。

と本文を結んでいる。

 結論部分なのに「不思議ではない」「ありえなくはない」と連発しているのは、「やっぱりよくわからん!」と放りだしているようにも聞こえる。
 「あ~あ、終わっちゃったよ」と思いながら「あとがき」を開くと、電子書籍が本格的に拡大していくために必要な5条件、とか、今後の日本の出版業界に起こりうる3つのシナリオが書かれており、読みおわってみれば「あとがき」だけで17ページもあった。

 近未来を予測しながらも断定をさける良心的(?)な内容だ。分らないことは分らないという著者だからこそ、この一書の中にあたらしいビジネスチャンスが潜んでいるし、新しい便利なライフスタイルをはじめる先駆的利用法のヒントがちりばめられている、――と思えなくもない(笑)。

 「本」の運命について哲学的思考にふけりたい人には『電子本をバカにするなかれ』を、紙の本が最高! と信じていたい人には『本は、これから』を、ビジネスチャンスを探している人、アーリーアダプターとして人より早く電子書籍の未来を見とおしたい人には『電子書籍の時代は本当に来るのか』をお勧めする。

電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
著者:津野 海太郎
国書刊行会(2010-11-26)
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本は、これから (岩波新書)
岩波書店(2010-11-20)
販売元:Amazon.co.jp
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電子書籍の時代は本当に来るのか (ちくま新書)
著者:歌田 明弘
筑摩書房(2010-10-07)
販売元:Amazon.co.jp
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【書評ブロガー】浅沼ヒロシ

ブック・レビュアー。
1957年北海道生まれ。
日経ビジネス本誌、日経ビジネスオンライン連動企画「超ビジネス書レビュー」に不定期連載中のほか、「宝島」誌にも連載歴あり。
ブログ「晴読雨読日記」、メルマガ「ココロにしみる読書ノート」の発行人。
著書に『泣いて 笑って ホッとして…』がある。

twitter ID: @syohyou

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