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気分はフィールドワーカー
岡野さんは大阪府枚方市生まれ。高校卒業後半年間アルバイトして得たお金で米ニューヨークに渡った。ニューヨークでは、主に音楽のライブに出かける毎日だった。日本に一時帰国してアルバイトしてはニューヨークに戻るという生活を2年半ほど続けた。
初めは刺激的だった生活も次第にマンネリ化し、「お金がないと実はニューヨークもあまりおもしろくない」と感じて帰国。その後は、イベント・内装施工員、派遣社員のコーディネーター、バーテンダー、飲食店店員、深夜のビルの清掃バイトなど、ありとあらゆるアルバイトを転々とした。
「当時はニューヨークや東京という大都会での人間関係や社会の成り立ちを研究対象としたフィールドワークをしている気分でした」と振り返る。文化人類学者が実際に現場での経験を通じて学ぶことをフィールドワークと呼ぶ。岡野さんもいろいろな仕事を通じて社会、人生のフィールドワークを行なっていたのだと言う。
ただこうした生活を2,3年続けて、いろんな思いが岡野さんの心の中に蓄積され始めた。「うまくいかないことも多々ありました。もともと、要領のいい性格だったので、定職につかなくてもなんとかやっていけるという思いがあった。それと、チャンスさえあれば努力しなくても成功できるとどこかで思っていた。でもそれじゃあだめだと思い始めたんです」。
ターニングポイントは、突然やってきた。レイブの野外パーティーで有名なタイのパンガン島を訪れたときのことだった。「満天の星空の下、流れてくる音楽を聞きながら、突然開眼してしまったんです(笑)。今の生き方じゃだめだ。力をつけるために、もっと努力していかないと、と思いました。それから生活が一変しました」。
帰国後いろいろと調べた結果、大学を卒業していなくても司法試験を受けられることが分かった。そこで司法試験に焦点を当て勉強漬けの毎日が始まった。「当時の司法試験は、最難関の国家試験なのに受験資格が問われませんでした。合格判定も実力次第というフェアな点に魅かれました」。勉強を初めて5年、4回目の受験でようやく合格。28歳のときだった。
そこで弁護士事務所に勤めて経験を積むというのが新人弁護士の進む一般的なキャリアパスだが、岡野さんはいきなり自分の弁護士事務所を立ち上げた。司法修習生の頃に英語で Google 検索していると、アメリカには日本と比べて格段に個性的な弁護士事務所がいくつもあった。「日本にはなぜこうした弁護士事務所がないのだろうか。日本でもマーケティングを工夫すれば、何か面白いことができるんじゃないか」。そういう思いがあったのだという。
日本で弁護士事務所のコマーシャルをあまり見かけないのは、1955年に日本弁護士連合会が弁護士倫理を制定し弁護士の広告活動を自主規制してきたから。2000年にそれが解禁になったものの、広告・宣伝に消極的なムードがすぐに一掃されるわけもなかった。
そこにチャンスがあった。
ウェブサイトが奏功、開業当日から電話が鳴り止まず
弁護士業務には、民事と刑事という二つの分野がある。民事は、企業の顧問弁護士になるなど収益性の高い業務が存在するが、刑事は収益性が低いこともありそれを専門にする弁護士事務所はあまり多くなかった。また、業界内には「刑事では食えない」という一種の言い伝えがあった。
しかし、岡野さんはインターネットを使って効率的に広告・宣伝すれば、収益性が低いと見られている刑事業務でも十分に事務所運営は成立するはず、広告・宣伝に消極的な弁護士事務所が多い中でこの領域はブルーオーシャンだ、と考えた。また、自分自身の身の回りや司法修習時代のケースを見ても、従来の方法では十分に救済されていない刑事事件が多くあることを実感していたという。
事務所の開業にあたっては、ECサイト運営の経験のあるアメリカ時代の友人に手伝ってもらって自分の弁護士事務所のウェブサイトを構築した。もちろんほかの弁護士事務所もウェブサイトは持っていたが、ウェブサイト制作会社に運営を丸投げしているので、どこも同じようなサイトばかりだった。
「そんなに特別なことをしたわけじゃないんです。事務所のコンセプトを分かりやすくし、今までの弁護士は見せたがらない(笑)料金プランをできるだけ細かく掲載し、刑事業務に的を絞ったSEO(検索エンジン最適化)対策をしっかりやったくらいです。開業の3ヶ月前からテストページを準備して、関連キーワードで1位になるようにはしていました。それで開業当日朝9時にテストページを実際のページに切り替えたところ、その日から依頼の電話が次々とかかってきたんです」。
自分一人では到底対応出来ない数の案件が寄せられるようになった。そこで、開業2ヶ月目にして部下になってくれる弁護士を雇用。若い弁護士だったが、それでも自分より4年先輩だった。
2008年の開業以来、業績は右肩上がり。2011年に大阪事務所を開設、2012年春には福岡事務所を開設した。弁護士の実務は嫌いではなかったが、事務所の基礎を固めるため、今は経営に専念している。
デジハリでウェブ技術を勉強しているのは、次のステップへの準備でもある。「ウェブ技術は、これまで成り立たなかった事業を成立させてくれる技術。一見無関係に思える領域を結びつけて事業として成立させてくれる技術だと思うんです」と岡野さんは語る。なのでウェブ技術をよりよく知ることでビジネスチャンスが見えてくると考えているわけだ。
オフラインとオンラインが分断されている。どんな事業でもホームページくらいは持つようになったが、ただホームページはチラシやタウンページ代わりぐらいにしか思っていない人が多い。
でもインターネットには、仕事のあり方さえ変えてしまう力があるはず。そのことに気づいた人にはビジネスチャンスが訪れている。以前に記事した株式会社ROIもそうだし、今回の記事の岡野さんもそうだ。
ネットでリアルビジネスを変革する。言い古された言葉だけど、まだまだネットが変えることのできる領域って残っているような気がする。
ちなみに岡野さんのサイトの製作を手伝った友人は、そのノウハウを持って弁護士専門のウェブサイト製作の仕事をしているんだそうだ。(参考:弁護士WEB)。ウェブサイトってもっと現場に近づくべきだし、もっといろんな業界向けの専門サイト製作業者が出てきてもいいと思う。