蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】

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[読了時間:6分]

 大学4年生の水谷翔さんから寄稿していただきました。「自称ソーシャルメディアマーケターによる誤った見解が蔓延している」と、なかなか挑発的な文章から始まっています。僕はこうした挑発的な若者が大好きなんで、取り上げさせていただきました。w

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大学4年生 水谷翔

ソーシャルとソーシャルでないものをはっきりさせる

 今の日本では、ソーシャルメディア、SNSなどのソーシャル関係の定義がめちゃめちゃで、混乱しています。その混乱の元となっているのが、「自称ソーシャルメディアマーケタ―」の方々による誤ったソーシャルへの見解が蔓延していることにあります。

 彼らは哀しいことに、CGMやUGCなどの「人が集まる場所」と、ソーシャルメディアの区別がついていないのです。そこで、ここではソーシャルの定義をはっきりとさせたいと思います。

SNSの定義

 まずはSNSの定義から入りましょう。ここがわかれば、ソーシャル、ソーシャルメディア、ソーシャルグラフという言葉等の意味も、自然と、概念的に理解できるはずです。なぜならSNSこそがソーシャルという概念を生み出した存在だからです。そしてこの定義は幸いなことにとてもシンプルなものです。

 SNSとは、「実際の友人・知人との関係をネット上に移したもの」です。つまり、リアルの友人・知人との交流の場です。これだけです。ね、シンプルでしょう?
あなととても仲の良い人はSNSの中でも仲は良いですし、あなたにとって苦手な人は相変わらず苦手な存在です。インターネットに移動したからといって、あなたの人間関係は変わりません。
 
 なぜSNSがこんなにも支持を得たのか。それは人間の根源的欲求である「コミュニケーション欲」をうまく満たしているからです。あなたは今まで一人の相手に対して、ケータイで電話をし、そしてメールをしてきました。それが今では、あなたの電話帳がネット上で一元的に可視化できるようになり、なおかつ一斉に彼らとコミュニケートできる。―しかもその方法は幾通りもある―これは楽しいでしょう。

え?そんなことはもうわかっている?
そうですよね。
重要なのは、このSNSと、ネット上に存在する似たような他のサービスとの区別ですよね。

 ここまで来ればわかると思いますが、ソーシャルとは「リアルな友人との関わり合い」のことを指します。そしてそれはインターネット上の不特定多数からは見られることのないやりとり、つまり「閉じられた世界」です。

インターネット的なもの

 そうではない、インターネット上で知り合う他人(バーチャル)との交流の場を、ここでは「インターネット的なもの」と呼びます。
 インターネット的なものの具体例は何でしょう?星の数ほどあります。
 2ちゃんねるなどの掲示板、ブログ、レビューサイト、YouTube、etc..
 主にCGM・UGCなどの誰もが参加できて、お互いの素性を知らない者同士の交流の場を指します。

 え?YouTubeはソーシャルじゃないの?ソーシャルではありません。先ほどの定義にのっとれば、非常に簡単です。
 YouTubeであなたの知り合いと交流するでしょうか?多くの場合、顔も知らない人との交流です。ですから発言のハードルは下がり、誹謗中傷も起きやすく結果として炎上するケースがあるのです。
 YouTubeに投稿されている動画コンテンツをSNSプラットフォームの中で友人とシェアするのはソーシャルですが、YouTubeというプラットフォームの中で赤の他人と交流するのは、「インターネット的なもの」なのです。

 大事なのは、必ずしもプラットフォーム=SNSではないということです。
いわゆるCGM・UGC等、外に向けてオープンになっているものは、ソーシャルではありません。

 残念ながら多くの「自称ソーシャルメディアマーケタ―」のみなさんは、人が集まる場所=無条件にソーシャルだと思い込んでいるようですが。

 ソーシャルとはあくまで「実際の友人・知人との交流の場」です。あなたの友人との新たなコミュニケーション方法となりうる存在です。
 このような視点で見れば、おのずとソーシャルとインターネット的なものの区別がつくでしょう。

バーチャル

 インターネット上で出会った人々との交流は、ソーシャルでしょうか?

 厳密には、ソーシャルとは呼べません。そういったオンライン上で知らない人々との交流の場は、バーチャルと呼びます。オンラインゲームなど、インターネット上で知り合ったユーザーと協力していくゲームなどが、バーチャルの具体例です。

 インターネット上で出会う(バーチャル)を前提としたサービスでは、ソーシャルとは呼べません。新たな出会いを喚起するサービスは、飽きられてしまう傾向にあります。mixiのコミュニティやMySpaceが弱くなってきているのが証拠ではないでしょうか。

「インターネット」と「ソーシャルネット」

 これからは、というよりもうすでに、インターネットの世界は二分されています。
それが、「インターネット」と「ソーシャルネット」です。

 インターネットは、これまで通り、世界中の人々に一瞬でアクセスすることができ、膨大な知識を共有できる巨大なBrainのような存在です。これまで出会うことのなかった人々との出会いもあるでしょう。そういったやりとりが誰からも見ることが可能なオープンな世界が、インターネットです。

 一方ソーシャルネットとは、あなたの友人・知人と交流する場です。新たなコミュニケーション方法であり、使い方によってはあなたとあなたの友人・知人とのコミュニケーションをより豊かなものにしてくれます。そしてこれらのやり取りはお互いの共通の友人・知人からしか見ることはできず、閉ざされた世界がソーシャルネットです。

 インターネットでは、新たな情報に価値があります。
 ソーシャルネットでは、友人・知人の動向(近況、レコメンデ―ション)に価値があります。

 CGM等にはインフルエンサーがいます。インフルエンサーとは、アルファブロガーなどの、影響力の強いユーザーのことです。CGMではインフルエンサーが主役です。影響力の強い彼らには自然と広告も集まってきます。

 一方、ソーシャルでは誰もが主役です。あなたの報告、更新、発信を楽しみにしているユーザーがいるのです。

最後に

 ソーシャルと、ソーシャルでないものの区別ははっきりしたでしょうか?

 誤解してほしくないのですが、私は決してソーシャルがとても素晴らしいもので、インターネット的なものは古い、取り残されたものと言っているわけではありません。どちらも素晴らしく、どちらも人々にとって必要なものです。

 私が言いたいのは、混同されているソーシャルネットとインターネット的なものをしっかりと区別すべきだ、ということです。
 高校の特進クラスと普通クラスのようなものではなく、3年A組とB組、といった分け方であって、この区別というのは必要な今後必要になってきます。

補足 オープンとクローズドについての補足点。

 よく「SNSの魅力はオープン性にある」と言います。
え!?筆者は「閉ざされた世界(クローズドな世界)」と書いていたじゃないか!と思われるでしょう。

 SNSの魅力であるオープン性のオープンとは、デベロッパー(アプリ提供者)などの業者に対してのオープンです。共通のAPIの仕様に沿って開発すれば、誰でも(法人でも個人でも)アプリを開発できる。このオープンさがSNSの魅力の一つ、ということです。

 私が言う「クローズド」とは、ユーザー同士の関係や、会話のやり取りのことです。この情報が外にさらされたら(Googleで検索したらマイミクやフレンドの情報が出てくる等)、とんでもないですよね?
 そうならない、クローズドな世界での濃密なコミュニケーションがSNS、ひいてはソーシャルの魅力なのです。

 ソーシャルメディアではあなたの友人がどんなことをしているか知りたい、または知らせたいといった欲求がサービスを利用するユーザーの原動力となっています。
 その欲求をついていくサービスが、「ソーシャル性の高い」サービスなのです。
 あなたがどこにいるか知らせる位置情報機能(チェックイン)、購入したものの決済データを転送し友人に知らせるサービス、呼んだ記事・サイトを友人に共有するサービス・・・
 このようなサービスが、ソーシャルなのです。

蛇足:オレはこう思う

 「ソーシャルメディア」って比較的新しい言葉なんで、みんなが納得する定義はまだ存在していない。だからどれが正しい定義で、どれが間違った定義ってないんじゃないかな。僕自身もいろんな意味で使っているし。

 とはいうものの、水谷さんの主張はよく分かる。

 これまで何度か指摘してきたように今インターネットは「巨大な図書館」から「巨大な公民館」へと姿を変えようとしている。水谷さんの言うように、YouTubeやブログ、flickrなどのユーザー参加型メディアって、ユーザーが作成するコンテンツ自体に重点が置かれたもの。あくまでも「図書館」という比喩の中で語ることができるものだった。プロの著者だけではなく、より多くの人の書いた物が「図書館」の中に加えられましたよってことに過ぎなかったわけだ。。

 でも最近のネットは、TwitterやSNSのように、人々のふれあい、つながりに重点が置かれたものに変わってきている。Twitterの140文字のコンテンツには、読み応えとかあるわけもなく、それよりもだれとだれが友人関係にあるのかといいうことが重要になってきている。まったく違う枠組みに存在するものだから、同じ「ソーシャルメディア」って言葉で一括りしないほうがいい。一括りにすると今起こっていることを正確に把握できないですよ、ってことを水谷さんは主張しているのだと思う。

 そういう意味では賛成。この違いを理解することは、これからのビジネスマンにとって非常に重要なことだと思う。

【追記】
なんかこの記事がすごい反響を呼んでいるようなので、わたしの感想を書いておきたいと思います。

 その前にわたしの議論に対する考えを述べさせてください。

(1)わたしは議論というものは、自分の理解を深め、相手の理解の促進を手助けするためにしたいと思っています。
(2)それを目的とするのなら、枝葉末節に拘ることなく、主張の根幹部分に焦点を充てるべきだと思います。そこから自分が何か得ることができれば、それは自分にとってのメリットです。その部分が間違っていて、相手の理解促進を支援したいと思うのなら、議論することの意味もあると思います。実社会ではどんな風に議論しても相手を論破する必要がある場合も存在しますが、ブログやTwitterでそんな必要はありません。自分の鬱憤を張らすことを目的に議論したくないと思っています。

 こういう思いが根本にありますので、わたしは水谷さんの表記の問題や文章の構成については特に言及したいとは思いません。従来型メディアの編集デスク的な立場で、水谷さんの記事を出したわけではないのです。

 水谷さんの記事でわたし自身大事だと思ったのは、やはり彼の主張の根幹の部分です。そのことについては上に書いた通りです。同じソーシャルメディアと呼ばれるものの中にも、実は違いがあり、この違いが実はすごく意味を持つようになる、というのが水谷さんの言いたいことなのだと思います。では「どう意味があるのか」という問いに対する答えは、水谷さんの文章には書かれていません。彼は恐らく感覚的にその違いが今後非常に大きな意味を持つことに気づいているだけで、それをうまく表現できないのでしょう。

 わたしも水谷さんと同様の思いを持っています。ですがわたし自身も水谷さん同様に、だれにでも理解してもらえるような根拠やデータを簡単に示せるわけではありません(根拠を羅列した本を一冊ぐらい書けば、理解してくれる人は増えるかもしれませんが)。特に日本の現状を見る限りにおいては、ソーシャルメディアを2つに分類する意味をまったく見いだせません。ただソーシャルメディアに参加する人たちの割合が大きくなってくれば、それが大きな意味を持つことは、非常に多くの人がFacebookに参加している米国の状況をみているとうっすらと見えてきます。ですので、水谷さんもわたしも自分の感覚が間違っていないと感じるのだと思います。

 「根拠もデータもないことなど意味が無い」と言われれば、その通りだと思います。ただ読者の中に、われわれと同じようにこの変化を感覚としてつかんでいる人がいらっしゃるのではないかと思います。その人にとっては水谷さんの文章は大きな意味を持ちます。自分の考えに自信を持てたことだと思います。Twitterの反応を見ても、水谷さんの文章にポジティブに反応した方が何人もいらっしゃいました。そういう人がいただけで、水谷さんはこの記事を書いた意味がありますし、わたしはこの記事を出した意味があると思います。

 あともう1点だけ、主張の根幹部分ではないのだけれど今後の社会を読む上で非常に大事なポイントだと思うので、ここに書いておきたいと思います。佐々木俊尚さんが、「バーチャルの人間関係とリアルの人間関係が融解しつつあるのであって、リアルに固執するのは変」とTwitterでTweetされています。

わたしもバーチャルとリアルは融合していくのだと思っています。ただ融合した結果、将来的にはバーチャルな人間関係もリアルな人間関係も自分にとっては感覚的にはリアルなものに近づくのだと思います。つまり今リアルな人間関係に抱くような親愛の念や付き合いの深さのようなものを、まだ会ったこともない人にも抱くようになる。会ったことがある人もない人も同様に、自分にとっては大事な友達になる。そういう意味でソーシャルメディアは、リアルな大事な友達の関係性になるのだと思います。また実際に大事な友達とは「会いたいね」ということになり、バーチャルな関係でなくなることも多いでしょう。

 こうした議論の難しいところは、どの時点を念頭に置いて議論するのかということだと思います。現時点、目の前のことだけを議論すれば、明らかにリアルな人間関係とバーチャルな人間関係は別に存在します。現時点、そして少し先の未来にはリアルとバーチャルが融合するでしょう。ただもっと先の未来は、先に述べた通り、融合した人間関係がリアルに近づくのだと思います。

ですので「リアルとバーチャルは別」という主張にもうなづきますし、「融解するけど、リアルが核にはならない」というのもその通りだと思います。もちろんそれぞれがなぜそう思うのかを説明することもできますが、長々と説明したところで答えは出ません。未来予測の答えは、その時代を迎えるまで出ないのだと思います。

 答えなど出ないのにどうして議論することが大事なのかと言うと「100歩譲って相手の議論に耳を傾け、参考になる視点をもらう」という姿勢で望めば、得ることがあるからです。水谷さんの記事には、何人かの読者にとって非常に大事な視点があると思ったので掲載しました。

 インターネットは「巨大な図書館」から「巨大な公民館」になる。巨大な公民館ではリアルな人間関係が核になっていく。それがGoogle全盛時代の2007年に「爆発するソーシャルメディア」という本を出したときからの一貫したわたしの考えですし、水谷さんの原稿にはこの考えにそった視点が含まれていると思います。

【ゲストブロガー】水谷翔

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1988年愛知県生まれ。9歳から15歳までアメリカのミズーリ州に住む。
運が良いことが自慢。
現在大学4年生。来年から東京で働きます。