「評価経済社会」への移行期における併存する価値観と、議論することの不毛さ【湯川】

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 情報化社会になれば人々を動かす力、社会を動かす力が変化する、という考え方がある。簡単に言ってしまえば、これまでは金銭がモノを言う社会だったが、これからは金銭よりも共感がモノを言う社会になり、多くの人がお金持ちを目指すのではなく、評価される人、信頼される人を目指すようになる、という予測だ。

 わたしが最初にこの考え方に触れたのは、情報社会学の権威、公文俊平氏が2004年に出した「情報社会学序説」という本だった。

 最近では、岡田斗司夫氏の著書「評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている」が同様の主張を行なっている。

 特に岡田氏の本は、価値観が大きく変わるという部分に焦点を当てている。

 確かに価値観は、これまでの貨幣経済社会と、これからの評価経済社会では大きく異なる。貨幣経済社会の中では、経済成長を目指すということが「正しい」という価値観があった。テクノロジーは生活を豊かにするという価値観があった。

 ところが評価経済社会では、経済成長が必ずしも正しいという価値観ではない。それぞれの利潤の追求が社会にとってプラスになる、という価値観ではなくなるわけだ。

 貨幣資本を多く持つ人が力を持つ社会ではなく、「評価」資本を多く持つ人が力を持つ社会になり、岡田氏によると「今後は評価ポイントで謝礼するようになり、評価ポイントで謝礼できない場合にだけ『評価で払えなくてごめんね。代わりに貨幣で支払うね』という形になる」という。

 先にお知らせしたように、わたしが主催するTechWave塾という少人数勉強会で、岡田斗司夫氏をゲストに迎え、ニコニコ動画とustreamで議論の様子を生中継した。6000人以上が視聴したようだが、わたし自身、そのときのインパクトが大き過ぎて、今だに考えがまとまっていない。いち早く新しい価値観に慣れ、新しい社会に沿った仕組み作りに参画したいと考えているのだが、異なる価値観が併存する中で、自分自身の中でどう折り合いをつけていいのか分からない状態が続いているのだ。

 勉強会の参加者には、企業経営者もいた。利潤追求が目的の企業を経営する一方で、「利潤追求がダサい」「お金を受け取れば、評価を受け取れなくて損をする」という価値観とどう折り合いをつければいいというのだろうか。

 岡田氏によると、日本は先進国の中でも社会が均一化されているほうなので、世界でも最も早く評価経済社会への移行が進む可能性があるという。つまり世界を見渡しても先行事例がなく、自分たちで新しい価値観に基づく社会の仕組みを作っていかなければならないわけだ。

 新しい社会の価値観を迎える上での戸惑いやひずみはいろいろなところに現れてきているように思う。岡田氏の勉強会の生中継を6000人が視聴したということも、勉強会に参加した梶原健司氏による、この問題を取り上げたブログ記事「今、日本で起きていることの傾向と対策」が、900以上のFacebook「いいね!」、1500近くの「はてなブックマーク」、2000以上のTweetを獲得したのも、この問題への関心の高さや、新しい社会への人々の戸惑いを示しているのだと思う。

 先日のジャーナリストの佐々木俊尚氏と広告業界の一部関係者との炎上騒ぎを見ていても、根底には異なる価値観の併存があるように思う。(関連情報:佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち

 わたしはこの炎上騒ぎのまとめを読んでみて、今が評価経済社会への移行の過渡期であることを強く実感した。


 その理由の一つは、佐々木俊尚氏の次のTweetだ。

「読売広告社は私を敵に回したいのなら、かかってこい!」

 佐々木俊尚氏のフォロワー数は14万人。大変な「評価」資本保持者だ。そこまでの評価を得れば、貨幣経済社会の有力プレーヤーである企業、特に影響力を持つといわれる広告会社でさえ恐るに足らず、という発言だと思う。確かに評価経済社会の中では、軍事力、経済力以上に「知力」「評価」が社会を動かす力を持つと言われている。佐々木氏は「評価」のパワーを既に実感しているのだと思う。

 もう1つは、kohtashitaさんというユーザーの次のコメント。

「佐々木俊尚さんの騒動から辿ってイケダハヤトさんの事件(?)にたどり着いたんだが、高広さんのいうこともかなり理に適ってるし、イケダハヤトさんも理に適ってるなという印象。」

 この炎上騒ぎは、もともと人気ブロガーのイケダハヤト氏と広告業界の一部関係者とのやり取りから派生している。もともとの論点を知るためにイケダ氏と広告業界の人気ブロガー高広伯彦氏のブログを読み比べたというコメントだが、イケダ氏の意見も、高広氏の意見も「理にかなっている」としている。

 わたし自身も同意見だ。イケダ氏の意見も「正しい」し、高広氏の意見も「正しい」と思う。どちらも論点の組み立て方になんら問題はない。どちらも論理的で筋が通っているのだ。どっちも「正しい」と思う。

 ただベースになる価値観がまったく異なるので、その上に築かれる意見が正反対のように見えるだけなのだ。

 貨幣経済社会から評価経済社会への移行期だからこそ、異なる価値観が併存し、その結果、意見の衝突が起こるのだと思う。

 佐々木氏と一部広告業界関係者の騒動は、イケダ氏によるコミュニケーションの遮断を問題視するnaga8888氏の主張から始まっている。これに対して、罵倒してくる相手とコミュニケーションする必要はない、というのが佐々木氏の意見だった。

 わたしは佐々木氏の意見に概ね同意するのだが、さらに言ってしまえば、価値観の異なる人同士の議論は不毛な結果になりやすい、と考えている。

 なので議論する必要はないと思う。自分が自分の価値観に基づいた意見を表明し、相手が相手の意見を表明する。その上で「ああ、そういう考え方もあるのか」と受け止めるだけでいいのではないだろうか。異なる価値観が併存する過渡期なので、意見の多様性を認め合うだけでいい。互いのブログを読むだけでいいのだと思う。

 naga8888氏は「異論に対して相互コミュニケーションした上での集合知化」を希望しているようだが、相互コミュニケーションで集合知化ができるのはベースに同じ価値観があるときだけで、異なる価値観は「集合知」にまとめることなどできないと思う。宗教を中心とした価値観を持つ中世の人たちと、利潤追求が社会をよくすると考える近代の実業家とが、もしときを超えて出会いコミュニケーションすることが可能だとしても、その結果を「集合知化」などできないのと同じ理由だ。「異なる意見が存在し、どこまでいっても意見は平行線をたどる」という単純な結論以上の「集合知化」などできないと思う。

 もし自分と異なる価値観のことを知りたいのであれば、「議論する」ということではなく、異なる価値観の存在をリスペクトし、相手をリスペクトして話を聞くということしかできないと思う。

 相手を諭すことも論破することもできないし、議論の結果、自分の価値観が変化することもないだろう。価値観が議論で変わることなどほとんどない。価値観が変わることがあるとすれば、衝撃的な実体験の積み重ねでしか変わらないと思う。

 なのでまずは、今が価値観の変化の時代であることを認識し、議論するのではなく、異なる価値観をリスペクトすることを心がけていきたいと思っている。自戒も含めて。