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実はわたし自身ソーシャルゲームで遊んだことがほとんどない。ソーシャルゲームメーカー大手に親しい友人がいるわけでもない。ましてやソーシャルゲームメーカーの株など持っていない。そういう利害関係が一切ない立場から、今この時点ではっきりと断言しておきたいことがある。それは、ソーシャルゲームこそが日本のIT業界が最も力を入れるべき領域であり、ソーシャルゲームこそが世界に誇れる産業になっていくということだ。
この時点で断言しようと思った理由は2つ。1つは、ソーシャルゲームに対する社会的評価が未だ定まっていないから。社会的評価が定まっていない中で1つの方向性を主張することが、長年IT業界を見てきた自分の役割だと思っている。
恐らくこうした主張をすれば何割かの人からは痛烈な批判を受けると思う。だが、だれからも批判されないということは、既にだれもがその事実に気づいていて議論自体が陳腐化していることを意味する。何割かの読者からは絶賛され、何割かの読者からは批判される。そういう状況の中でこそ、自分の考えを述べる価値があるのだと思う。
「海外でも通用する」世界をリードし始めた日本
断言したいと思った2つ目の理由は、そんな社会的評価が定まっていない中において、日本のソーシャルゲームが世界のトップクラスで戦っていけるという確証が得られたからだ。
日本は先進国の中でも3G回線が最も早くから普及し、各種サービスやアプリケーションも発達してきた。消費者はキャリア決済などの少額課金に既に慣れているし、世界に先駆けてモバイルのソーシャルゲームが盛んだった。そのノウハウは世界でも通用するはず。なのでグリーもDeNAも世界進出を目指してきた。
通用するはず・・・。ただこれは「仮説」にしか過ぎなかった。日本で流行ったからといって、カードバトルゲームは米国でも流行るのだろうか。自分たちが打ち立てた「仮説」を信じて米国に乗り込んだグリーの青柳直樹氏は、今月初めに札幌で開催されたネット業界最大のイベントInfinity Venture Summit(IVS)でTechWaveのインタビューに応じ「数字が出てくるまで実は分からなかった」と当時の素直な気持ちを明らかにしてくれた。
フタを開けてみると、北米進出は大成功だった。欧米市場の多くのアプリの課金額が5~10セントといわれる中で、グリーの「Zombie Jombie」はその約10倍を達成、iOSのアプリ市場AppStoreで売上トップ10にランクインした。VentureBeatの取材に対し青柳氏は「日本で培った技術と知見が欧米でも機能することを示せた」と語っている。(参考:Social Game Report GREE CFO青柳氏インタビュー)
DeNAとCygamesの人気カードバトルゲーム「神撃のバハムート」の英語版Rage of Bahamutも北米で大きく成功している。今年2月にAndroid版をリリース。2ヵ月後にはAndroidのアプリ市場Google Playで米国内売上高で首位を獲得した。5月15日にはiOS版をリリースしたところ6月12日にAppStoreでも売上1位を獲得。Android版、iOS版のどちらでも首位を獲得したことで、押しも押されぬ米国一の売上高のアプリとなった。
グリー、DeNAともに北米で大成功をおさめ始めた。私の中での仮説が確信に変わった。日本のソーシャルゲームは世界でも通用するし、世界をリードしていける。そう断言してもいいフェーズ、断言すべきフェーズに来たのだと思う。
「ここまで成長が約束された産業はほかにない」
ではなぜ日本のIT業界がソーシャルゲームに力を入れるべきなのか。最大の理由は、その市場拡大の可能性にある。
IVSで行われたTechWaveのUstream中継の中で株式会社gumiの国光宏尚氏は、3、4年以内に世界のソーシャルゲーム市場が20兆円から30兆円の市場に膨れ上がる可能性がある、と指摘。これを受けて株式会社ディー・エヌ・エーの小林賢治氏は「日本市場のみですら、もっと大きくなるのではないか」と言う。
KLab株式会社の真田哲弥氏は、モバイル・ソーシャルゲーム市場は、コンソール型ゲーム市場をも飲み込み、新興国で大きな市場を形成していくだろうと予測する。真田氏によると、新興国市場で人気が出たコンソール系ゲームはすぐ違法コピーされ、海賊版が市場に出回るという問題がこれまでにあった。その点オンラインゲームは、プレーするたびにデータやコンテンツをサーバー側から送る仕組みになっているので、海賊版が出回る心配がない。ただオンラインゲームといっても新興国ではパソコンを持っているユーザーが少ないので、主戦場がモバイル・ソーシャルゲームになるだろうと指摘する。今は世界のモバイル・ソーシャルゲームの市場は日本と北米が大半を占めているが、今後新興国市場が拡大することで世界市場の規模は国光氏の予測をさらに大きく超えるものになる、というのが真田氏の読みだ。「短期的に業績悪化を招いても世界市場に力を入れるべきだと思う」と真田氏は主張する。
芸者東京エンターテインメント株式会社の田中泰生氏、グリー株式会社の吉田大成氏もこうした意見には賛成。DeNAの小林氏は「これだけ成長が確証された市場は世の中にないでしょう」と語っている。
日本国内には、日本はまだまだ製造業が日本経済をけん引すべきと考える人が多くいる。私自身は、そうは思わない。日本メーカーは韓国、台湾、中国の強豪を相手に今後も厳しい戦いを強いられるのではないかと感じている。もちろんソーシャルゲームこそが日本経済再生の切り札になる、などと思っているわけではない。日本経済はこれからも低迷し続ける可能性が大きい。しかしソーシャルゲームは、閉塞感漂う日本経済に差し込んだ一筋の光になるのではないか。そんな風に考えている。
コンテンツ販売はフリーミアムで確定 10億ユーザー時代の到来
狙うことができるのはゲームの市場だけではない。田中氏は「ソーシャルゲームで確立したアイテム課金とSNS的なプロモーションの仕方は、音楽でも書籍でも同じ」と主張する。つまりソーシャルゲームを超えてあらゆるエンターテイメントコンテンツが、ソーシャルの人間関係の中で売れるようになり、課金できるようになるといういうわけだ。そうしたすべてのエンターテイメントまで視野に入れるとなると、巨大市場の可能性が目の前に広がっていることになる。
そのデジタルコンテンツの売り方なのだが、田中氏の言うように①コンテンツの存在が人間関係を通じて伝播し、②多くの人が無料で、一部ユーザーが有料でコンテンツを消費するというフリーミアムモデル、というカタチでほぼ決まりなのだと思う。
モバイル上でのコンテンツディスカバリーサービス大手のTapjoyのMihir Shah氏によると、アプリ内のアイテム課金型のフリーミアムモデルによる売上は伸びているし、今後も伸び続けるという。同氏によると、iOS上でのアプリ全体の総売上におけるアプリ内課金の売上は2011年1月には39%だったのが、6月には65%にまで急増している。また21億ドルという現在のアプリ内課金市場が、2016年には48億ドルにまで拡大し続けるという予測があるのだという。
さらにShah氏は「ゲームで起こったのと同じことが、ほかのデジタルコンテンツにおいても起こる。ゲームはまずは専用ゲーム機上でプレーされ、次にFacebook上でソーシャルゲームの時代になり、今はモバイル・ソーシャルゲームの時代になろうとしている」「ゲームの次はSkypeのようなコミュケーション系アプリ。そしていずれ書籍や音楽、雑誌にも起こるべきだと思うし、起こると思う。買うか、買わないかの選択を迫る売り方は機能しない。モバイルユーザーはそんなコンテンツ消費の形を望んでいない」と語っている。
デジタルコンテンツの消費に関する詳細なデータを持つTapjoyのShah氏の主張だからこそ、説得力がある。まずはゲームで始まったアプリ内課金の手法は、次にコミュケーション系アプリにも応用され始めた。同氏によると、コミュケーション系アプリはTapjoyの仕組みの中で2番目に大きな売上高のカテゴリーになっているという。
そしてその次に来るのが映画。最初に無料で映画の一部を見ることができて、もう少し見たい場合は少額を支払い、さらに見たい場合はさらに支払う。そんな形での映画視聴サービスを映画会社と一緒に近々発表する予定だという。(インタービュー動画)
Shah氏によると、来年春にはTapjoyのユーザーは10億人を超える見通し。Facebookは現在9億人ユーザーといわれているが、現在のFacebookの規模を超えるわけだ。グリー、DeNAもそう遠くない将来に10億人ユーザーの大台に乗る見通し。来年春には10億人ユーザーのサービスが数個登場し、それぞれのプラットフォーム上でゲーム、コミュケーション、映画、音楽など、あらゆるデジタルコンテンツが消費される。そんな時代になろうとしているわけだ。
ゲームの社会的意義
日本がソーシャルゲームに力を入れるべきだと私が考える2つ目の理由は、その社会的な効用にある。ソーシャルゲームは、社会を幸福にすると思う。このことは、ビジネスの成長と同等、もしくはそれ以上の価値があると思う。
幸せな未来は「ゲーム」が創るという本の書評で書いたように、人間のDNAの中にはゲームを楽しむ気持ちが刷り込まれているのだと思う。人間はもともと狩猟で食料を得ていた。いや人間だけではなくあらゆる動物が生きるための必死の攻防を繰り返してきた。それが人間だけは農業技術を身につけ飢餓の心配がなくなった。さらに工業社会になり豊かになったのはいいことなのだが、その一方で多くの人々の生活は非常に単調なものになった。
生きるか死ぬかというドキドキ感、獲物を得るために工夫する創造の楽しさ、仲間と協力することで得られる一体感、獲物獲得に成功したときの高揚感・・・。狩猟のときに味わっていたこうした感覚を求める気持ちは、今日もわれわれの中に残っている。ところがこうした感覚を現代の日々の生活の中ではなかなか味わえない。そんな社会になっている。
ワクワクドキドキを味わえない今日の社会は、いわば設計に失敗したゲーム、壊れたゲームのようなもの。この本の著者Jane McGonigal氏は、そう主張する。
モバイル・ソーシャルゲームは、そんな単調な毎日を送っている人にとって、ワクワクドキドキからくる幸福感を味わうことのできる非常にコストパフォーマンスに優れたサービスなのだと思う。
このモバイル・ソーシャルゲームの社会的価値は、ほかの方法で幸福感を味わうことのできる人には理解しにくいだろう。そんな人は、新興国、途上国に出かけて娯楽がない生活の現状を見ていただきたい。
わたしは今年2月にインドへ取材に行ってきた。ニューデリーのあちらこちらの街角の男性数人がたむろしていた。おしゃべりを楽しんでいる様子もなく、ただ立ちすくんでいるのである。あの人たちは何をしているのだろう。そう思ってインドの在住者に聞いてみると、これといった娯楽もない人たちが、ただ街角に立って、街をゆく車の流れを眺めているのだという。
インドの大半の家庭にはテレビもないのだとか。それでも携帯電話が急速に普及し始めた。何をするでもなく立ちすくんでいる人たちが、ソーシャルゲームをプレーできるようになればどれだけ彼らの人生が豊かになるのだろうか。どれでけ多くの人が笑顔に包まれることだろうか。
ゲームは決して時間を無駄にするものではない。ゲームは単調な生活に彩りを取り戻してくれるツールなのだと思う。
もちろん行き過ぎはいけない。コンプガチャ問題は、その行き過ぎた例だと思う。そのことでゲーム会社や関係者は糾弾されてしかるべきだし、私には彼らを擁護するつもりは一切ない。
これからも行き過ぎがあれば、社会はゲーム会社を遠慮なく批判すべきだし、ゲーム会社はその批判に素直に従うべきだと思う。
だからと言って、ソーシャルゲーム産業を潰してはいけないと思う。先に書いたようにソーシャルゲームが社会に与えるプラスの効用は、マイナス面を補って余りあると思うからだ。
日本は年間4000人前後が交通事故で命を落とす。交通違反は糾弾されるべきだし、少しでも被害者を少なくするための努力を怠るべきではない。だからといって、自動車を廃止すべきだと思わない。マイナスより社会全体に与えるプラスのほうが大きいと思うからだ。
日本の飲酒人口は6000万人程度で、このうちアルコール依存症の患者は230万人程度といわれる。行き過ぎた飲酒は糾弾されるべきだし、少しでも患者を減らすための努力を怠るべきではない。だからといって禁酒法を制定すべきだとは思わない。マイナスより社会全体に与えるプラスのほうが大きいと思うからだ。
ソーシャルゲームもそれと同じだと思う。
ソーシャルゲームを核に21世紀のハリウッドを目指せ
どうやら新しい娯楽は、登場して間もないころは批判されることのほうが多いようだ。今日の日本社会のセレブの代表格であるような歌舞伎役者は、江戸時代には河原乞食と呼ばれたのだという。エルビス・プレスリーがデビューしたときには、退廃的であると批判されたようだ。
なのでソーシャルゲームも必要以上に批判されているのかもしれない。
米国ではiPad上でのソーシャルゲームの人気が急上昇し始めた。比較的大きな画面上でのゲームは、スマートフォンとは別のデザイン、設計が必要になる。より表現力豊かなゲームの開発が可能だ。
そしてその少し先にはテレビ画面がある。テレビはいずれiOSやAndroid OSで動くようになるという見方が業界関係者の間では支配的。スマートフォン、タブレット、テレビに同じゲームが乗ってくるようになるわけだ。そのときのゲームはどのようなものになるのだろうか。
新しいテクノロジーが登場すれば新しい娯楽が誕生する。映像技術が登場したので、映画産業が誕生した。最初は音も出ずにパントマイムのような娯楽でしかなかった映画が、ハリウッドを核にした一大産業になり、芸術性の高い作品も数多く誕生するようになった。
ソーシャルゲームは、インターネットという技術が登場したことによって生まれた新しい娯楽である。今はまだ比較的単純なゲームでしかないが、今後大きな産業に成長し、芸術性の高い作品が誕生する可能性は十分にある。ソーシャルゲーム産業は映画産業を超え、日本はハリウッドを超える可能性が十分にあると思う。
そんなわけはないと思う方は、まるで映画のプレビューのような以下のソーシャルゲームの宣伝動画をまずは見ていただきたいと思う。
突然こう思い立ったわけではない。昨年末に書いた「2012年 日本の活路は「バーチャル」にあり【湯川】」という記事の中でも同様の主張をしている。
ソーシャルゲームこそが、日本の進むべき方向であるという予感はあった。ただ今回IVSでいろいろ取材する中で、その予感が確信に変わった。ソーシャルゲームは新興国の成長を受けて巨大な市場になるし、日本のソーシャルゲーム産業は一大産業になる。今から参入しても全然遅くないと思う。