シリコンバレーのVCと2時間ほど議論する機会があった。スポーツでも特定のひいきチームを持てない(大阪出身なのに阪神ファンになれなかった)くらい、自分以外の人に感情移入できない男なので「自分は絶対ナショナリストではない」と思っていたのだが、このVCがあまりにシリコンバレーバンザイの人だったんで、「ちょっと待った!日本の技術もすごいんだぞ。アジアのケータイ産業は最先端で、アジアのケータイ産業を制する者は世界のIT産業を制するようになるんだからな」と強く反論してしまった。結構右翼かも>自分。
今度の本のテーマがまさに「アジアのケータイ産業」なんで、実際に上のようなことはおぼろげながら考えているだけど、アジアがケータイ産業を通じて世界の技術革新の一角を担えるのかどうか、実はまだ見極められていない。技術革新のセンターがシリコンバレーと東京の二極体制になるようなことが可能性として少しでも見えてくれば、本も少しはおもしろいものになるのだろうけど・・・。
アメリカ人VCにはああ言ったものの、一方で「でもやっぱり今後もシリコンバレーが中心であり続けるのかもしれないな」とも思う。それはアメリカ人技術者のほうが優れているとか、そういうことではなくて、言語の問題かもしれないと思う。やはりIT業界の共通語は英語であり、英語を理解する限り、世界中の情報を入手できるから。
だって中国の起業家と話するのも英語だし、中国語を英語に訳したものを、さらに日本語に訳していたら重要な情報が抜け落ちてしまう。もちろんアジアからシリコンバレーに行くより中国と日本のほうが近くて便利なんだけど、地理的距離が近くても言語的距離が離れているということ。
インターネット革命が、人類の英知を物理的束縛から解放するものである限り、技術革新を閉じ込めるの最後の壁は言語かもしれないとも思う。
んーよく分からない。