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ソーシャルテクノロジーはわれわれを幸せにする【湯川】

 前の浅沼ヒロシさんの「ポスト・モバイル―ITとヒトの未来図 (新潮新書)という本の書評エントリーの中に、著者である岡嶋さんの「私は基本的に自分が不幸になる様しか想像できないのだ」の一言が紹介されている。まるでトム・クルーズの映画「マイノリティ・リポート」のように、情報技術がわれわれの行動をすべて把握してしまう未来、プライバシーの権利さえないような未来に対し、岡嶋さんは「それは、善悪を超えて、単に事実です」としながらも、どうもしっくりこないようだ。

 わたしも岡嶋さん同様に、未来はそうなっていくと思うし、それが善悪を超えて、事実だと思う。ただわたしは岡嶋さんとは異なり、こうした情報技術が社会を、われわれ一人一人を幸せにしてくれると思っている。確信している。

 確かにわれわれの行動はかなりの部分を情報技術が把握するようになるだろう。自分のプライバシーがどんどん世の中にリークしていくようになる、と思う。

 でもそれって本当に問題なのだろうか。

個人情報公開のメリット、デメリット

 プライバシーを保護しようという動きは、長い人類の歴史の中でごくごく最近の出来事だし、都市部に限定されたものではなかろうか。

 今でも地方にいけば、ドアにカギをかけない地域はいくらでもある。近所の人、全員とつきあいがあり、互いのことをよく知っている町内会はいくらでもある。「山田さんの夫婦が昨日の夜に大げんかしていた」ということを1丁目の住民全員が知っている、というようなシチュエーションはどこにでもあるものだ。

 一方で、都会の高層ビルには最新鋭のセキュリティシステムが装備されている。マンションの入り口には警備員が立っていて、エレベーターも住民専用のキーがなければ開かない。自分の部屋のドアには2重のロックがある。セキュリティは万全だ。隣の人とは面識がない。隣の音は漏れてこない。マンションの住民とつきあいは一切ない。

 この2つの状況では、どちらのほうが安全だろうか。安心だろうか。幸せだろうか。

 わたしは、情報技術には、20世紀後半にわれわれが失ったものを再び取り戻す力があると思っている。情報技術、特にソーシャルテクノロジーは、プライバシー保護の名の下にわれわれが失った人間同士のつきあいの温かさを再び取り戻す力があると思う。

 年賀状という仕組みで、われわれは多くの親戚、友人と長年にわたって「つながり」を維持できることを知っている。あの紙切れ一枚で、「つながり」を維持し、そこから幸福感を得ることができることを知っている。紙切れ一枚でさえ幸福感を与えてくれるのだから、Twitterなどのソーシャルテクノロジーを使うことで得ることのできる「つながり」の量と質、幸福感はどれほどのものになるのだろうか。

 「Twitterにハマっている」という人たちは、この幸福感を実感しているのだろう。

 われわれは情報技術、特にソーシャルテクノロジーが与えてくれる精神的な豊かさを追求する時代の幕開け、その非常に初期の段階を歩み始めたばかりなのだと思う。

揺れるプライバシー保護の概念

 この段階で、まずはわれわれのプライバシー保護に対する考え方が大きく揺さぶられることになると思う。

 2008年9月に米MashableにSocial Media and Privacy: Where Are We Two Years After Facebook News Feed?という記事が掲載されている。書いたのは、Facebookが始めたNews Feedという仕組みがプライバシーを侵害するとして反対運動を起こしたBen Parr氏だ。

 News Feedはユーザーのアクティビティーをそのユーザーの友人に自動配信する仕組みだ。離婚した人が自分の属性を「シングル(独身)」に変更すると、そのことがニュースとして友人のページに表示される仕組みだった。この仕組に反対するグループ「Students Against Facebook News Feed」にはピーク時に75万人近くが参加した。当時のFacebookユーザー全体の8%に当たるユーザーがNews Feedに反対したわけだ。

 反対を受け、FacebookはNews Feedに流す情報をユーザー個人が簡単にコントロールできるように仕組みを微調整したが、News Feedというサービス自体は継続された。

 反対運動から2年。ところがParr氏は、TwitterやFacebookを使って自分の情報を自らどんどん公開するようになっていた。自分の情報を公開することのデメリットより、メリットの大きさを理解できるようになっていたのだ。

 Parr氏は書いている。「僕自身そして多くのユーザーのプライバシーの考え方に、いったい何が起こったのだろうか」。

 Twitterが日本で本格的に普及し始めたのが昨年から。FacebookがParr氏に与えたような意識の変化が、ここ半年間で日本の多くのTwitterユーザーの間にも広がりつつあるのではなかろうか。これまで匿名で活動していた人が自分の顔写真をブログに張りつけたり、各種オフ会に積極的に参加しネット上の人間関係をリアルな人間関係に変えつつある。どこのだれだか分からない状態でネット上で活動することが、かっこ悪いという風潮が広がりつつあるようにも思う。

精神面幸福の未来の前にくる試練

 Twitterのようなソーシャルテクノロジーのお陰で毎日が楽しくなったという報告は山のようにある。(例えば、友だち少ない系の私が500人とtwitterを楽しめるようになった道のり : しゅうまいの256倍ブログ

 これが情報技術、特にソーシャルテクノロジーの本来の力だと思う。工業化社会が物質面で人々の幸福を追求したように、情報化社会においてはソーシャルテクノロジーが精神面での人々の幸福を追求して進化していくのだと思う。その過程でネットは実名をベースにしたもの、リアルな人間関係をベースにしたものに変化していくのだと思う。

 ただ社会全体の精神面の幸福が向上する前に一度、社会が大きな試練を経験する時期がくるように思う。プライバシー侵害が大問題になる時期がくるのだと思う。中世に天下泰平を目指し戦国時代が起こったように、工業化社会の中で人々の物質的幸福を求めるがゆえに富が一部の人間に集中した時期のように、情報化の中で最終的には人々が精神的幸福度を増すことができるとしても、その過程で一度大きな試練を経験するのではないだろうか。そんなふうに考えている。この試練に関してはまた別の機会にエントリーにしてみたい。

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