- 雨を降らせる機械からiPhone電脳メガネまで「自分が欲しいから作った」Mashup Awardめっちゃ楽しい12作品【鈴木まなみ】 - 2013-11-19
- スマホアプリは大手有利の時代【湯川】 - 2013-07-05
- そしてMacBook Airは僕にとっての神マシンとなった【湯川鶴章】 - 2013-06-14
[読了時間:4分]
9月中旬に実施した西日本横断講演ツアーで数多くの出会いに恵まれたが、中でもわたしが最もインパクトを受けたのが佐賀県武雄市長の樋渡啓祐氏だった。インターネットの普及で社会やビジネスのメカニズムが大きく変化する中で、同氏はその新しいメカニズムに最も適した方法で時代の波を乗りこなしていた。武雄市の図書館の運営をTSUTAYAに任せることができたのもそのメカニズムを理解していたからだし、TSUTAYAに運営を任せたことでさらなる注目を集め、さらなる影響力を手にしている。情報化社会の中で今後どのような人物や組織が社会を動かしていくことになるのかを理解するためにも、樋渡啓祐という先行事例をケーススタディとして取り上げてみたいと思う。
国会議員にならないで日本を変えようとする政治家たち
まずは岡田斗司夫氏が執筆した「評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている
」という書籍の考え方をベースに、樋渡啓祐氏の行動を見てみたい。岡田斗司夫氏は「評価」が「貨幣」の上位概念になり、「貨幣」を集めるより「評価」を集めるほうが社会を動かせるようになると主張する。
金権政治と呼ばれた時代にはカネをばらまくことで票を集め社会を動かせたが、衣食住がある程度足りて人の心はカネで動かなくなった。一方でネットが普及し、マスコミに頼らなくても個人が自分の力で「評価」を集めることができるようになり、この「評価」で社会を動かせるようになった。簡単に言ってしまえば、そういうような話だ。
岡田斗司夫氏とは今年1月にいろいろお話をさせていただいた。その際に岡田氏は、大阪の橋下徹氏が府知事のあとに大阪市長になったことに触れ、「橋下氏は勝てるところでしか戦わない。勝つことで評価を得て、日本社会全体への影響力を手にしている。これは橋下氏が、評価経済を理解している証拠。ほかの政治家は小さな自治体の首長から始めて最後に国会議員を目指す。時代の変化を理解しない政治家が束になっても、橋下氏には太刀打ちできない」と語っていた。
樋渡啓祐氏は、橋下氏同様に時代の変化を理解する政治家の一人なのだと思う。樋渡氏がいろいろと斬新な施策を打てるようになったのは「インターネットが普及したからこそ」と樋渡氏は言う。
インターネットが普及する前は、人口5万人の九州の小都市の市長が何をしたって全国紙に掲載される機会はほとんどなかった。しかしネット上で話題になることで大手マスコミでさえ武雄市に注目するようになった。「今、武雄市は全国的な注目を集め、何をしてもニュースになる。非常にありがたい状況です」。
TSUTAYAとの話がまとまったのも武雄市への注目度が高かったからだし、Facebook上のECサイト「FB良品」がそれなりの成果を出せているのも、樋渡氏が注目と評価を集めているからだ。樋渡氏は、一定の評価をバネに、さらなる評価や価値を得ているわけだ。
樋渡氏は言う。「武雄市だけだと意味がない。この動きを全国に広めたい。全国の自治体のロールモデルになりたいんです」。武雄市だけを変えようとしているのではない。武雄市長としての評価をベースに、日本そのものを変えていこうとしているわけだ。国政に打って出ないで日本を変える。岡田斗司夫氏が言うところの評価経済的な動きを、樋渡啓祐氏は実行しているわけだ。
樋渡氏によると、ほかにも何人か同様の動きをする政治家が誕生しているのだそうだ。情報化社会が進んでいく中で、樋渡氏のような考えで動く政治家がますます増えていくことだろう。
評価経済で「上場」する個人
「評価」を集めるためにはまず「注目」を集めなければならない。「注目」を集めるために「意表を突くことが大事。絶えず揺さぶるんです。世論を揺さぶる」と樋渡氏は言う。
意表を突き、注目を集めれば、時には炎上することもある。岡田斗司夫氏は「炎上も注目の1つ。評価を得ることのできる大きなチャンス」と言う。樋渡氏も同様の考えのようで、ときには積極的にTwitter上での議論に参加して「火に油を注いでいる」ようだ。
ただ戦うのは自分の得意な領域でだけ。負ける議論はしない。なので樋渡氏は、地方自治行政という自分の得意分野へ相手を引きずり込んでは徹底的に議論を戦わせるわけだ。
樋渡氏のように炎上を恐れずに注目を集めることに注力し、注目を評価に変えて大きな影響力を持つに至った人物のことを、岡田氏は「評価経済で上場している人」と表現する。
貨幣経済の中で企業が上場すれば、市場から資金を集めることでより大きなビジネスに挑戦できるようになる。その代わり業績などのデータは広く公開され、企業は経営者個人のものより社会のものという認識が強くなる。業績が悪化すれば株主や社会から糾弾され、経営から引きずり降ろされることもある。
会社を自分のもののように扱っていたい。社会から監視されたくない。そう考えるのなら上場すべきではない。上場してより多くの資金力というパワーを持つ代償として、諦めなければならないことがあるわけだ。
評価経済における個人の「上場」も同じである。注目や評価を集め影響力をつければ、必ず「アンチ」と呼ばれる反対派がネット上に現れる。言うことやることにことごとく文句をつけ、執拗に粘着してくる人たちが現れる。それが嫌なら「上場」しないことだ。
それでも「上場」し、影響力を持って社会を変えたいのなら、「アンチ」とうまく付き合っていく術を身につけなければならない。岡田斗司夫氏によると、アンチによる誹謗中傷は基本的に無視し、アンチがいい発言をしたときだけ褒めるなどの対応をする、というやり方がいいのだそうだ。また広く社会に知られる「自分」はパブリックな架空の人格で、本当の自分とは別の人格であると認識すべきだと言う。芸能人が芸名と本名を使い分け、芸名のときにはファンや社会と一緒になって作った架空の人格を演じきるのと同じ話だ。本当の自分とは別の人格なので、非難されても傷つくことがなくなるのだという。「というのがアンチとの正しい付き合い方だと思うんだけど、でもそう簡単じゃない。やっぱり傷ついてしまいますよね」と岡田氏は語っていた。
樋渡氏に聞くと、同氏はこのような対処法はまったく取っていないのだという。「ネットの世界だけでなく、地元でも選挙活動中はもちろん、いろいろと怪文書も含めてリアルに批判されたりもしますが、批判されれば燃えるんです。批判された次の日は早起きになる。さあ闘うぞって感じで」と笑う。同氏の周辺の人たちに聞いても実際そうらしい。同氏の高校からの友人の一人は「カッとなって怒ります。でも後まで引きずらない。喧嘩したあとに、すぐに仲直りするタイプです」と語ってくれた。
樋渡氏は、アンチの存在で傷つくことはまったくなく、アンチの批判を注目に変え、評価に変えているようだ。アンチの存在こそが、結果的に樋渡氏に大きなメリットを与えているわけだ。樋渡氏は性格的にも、評価経済での上場に向いているのだと思う。
スタートアップ的自治体経営
21世紀になってモノづくりの方法に変化が現れた、といわれることが多い。計画を立てるのではなく、目の前の状況に機敏に対応することを繰り返していく。それこそが、変化が激しい時代のモノづくりのあり方だ、といわれる。そういった新しいモノづくりの方法で世界的ヒットとなったのが脳波で動くネコミミ。ネコミミを開発した加賀谷友典氏の考えを、脳波で動く「ネコミミ」狂想曲 世界を驚かせたモノづくりは「何一つ思い通りに進まなかった」【湯川】という記事の中から引用して紹介しよう。
「例えるならば、ライブであり即興。完全に新しいものを作るときには計画は立てられないということを痛感しました」と加賀谷さんは言う。論理も因果も関係ない。過去の例だとこうだから、ということが一切通用しない。「答えがないんです。何かを狙っても結果が出るわけじゃないんです」。
すべてが終わったあとで振り返ってみれば「これは、こういう理由でうまく行った」と後付けで説明できるかもしれない。しかしその過程の中においては、ただ無我夢中で進むだけ。何が答えか分からないなか、柔軟に対応できるセンスと柔軟な体制だけを武器に、前進するしかない。
一方でこのことはチャンスでもある。「新しい環境が始まっているんだと思います。数人のチームでも世界と渡り合ってモノを作れる。世界中のパートナーでディスカッションして、開発を進めることができる」。
最近のスタートアップを取材していても、加賀谷氏の言うように数人のチームが目の前の事態に柔軟に対応しながら製品やサービスを作っているところが非常に多い。戦略転換は「ピボット」という流行りのバズワードで表現され、決して恥ずかしいことではなくなった。失敗してもいい。すぐに立ち直って次々と挑戦を続ける姿勢が評価される時代になってきているのだ。
武雄市の自治体運営を見ていると、このスタートアップの経営のあり方に相通じるものがある。
樋渡氏は「ビジョンなんか持っていません。反射神経で動いているんです。中学時代に卓球をやってたんで、来た玉を打ち返すような感覚でやっているんです」と悪びれることなく語る。「現状の最適解を求める。それに尽きます。それを積分していくと中長期的な最適解になるんじゃないかと思います」。
樋渡氏の周辺の人たちに話を聞くと、ピボットは日常茶飯事。樋渡氏のアイデアでプロジェクトがスタートしたにもかかわらず、本人はそのプロジェクトのことを忘れ「あれ、まだやってたの?」とプロジェクトチームに声をかけてびっくりされることがあるようだ。
「うまく行かないと分かれば、すぐにやめればいいんですよ」と樋渡氏はあっさり言ってのける。
またスタートアップが数人のチームで経営しているのと同様、武雄市の運営も樋渡市長を中心にした数人のチームで行われている。日々の業務は市長以外のチームメンバーが行っている。「みんな優秀なんで、僕は結構暇なんです」と樋渡氏は楽しそうに笑う。
市の図書館の運営をTSUTAYAに任せるプロジェクトでもTSUTAYAを運営するカルチャー・コンビニエンス・クラブ(CCC)から「武雄市がチームとして機能しているので話が進めやすい」と評価されているのだという。
樋渡氏は「わたしはトリックスターです」と言う。トリックスターとは物語を引っ掻き回すいたずら好きの人物ということらしいが、周りの人と話をしていると単なるトリックスターではないようだ。
自治体職員と話をすると武雄市ってそんなに突拍子もない自治体ではない。市長以外の自治体職員は、すべきことを粛々とこなしているように見える。
また周りの人の話を聞くと、市長のアイデアは一見斬新なのだが、それを実現するための方法はしっかりとしたプロシージャに則っているのだという。自身が自治体職員としての経験を持っているので手順を外すことがないらしい。自治体運営に詳しくない政治家が、樋渡氏を真似て突拍子もない施策を打ち、手順を踏まずに物事を進めると、職員や議会の反対を受けて頓挫することだろう。樋渡氏がやっているのは、基礎をしっかりと固めた上での、意表を突く行動なのだと思う。
それにしてもアンチにとっては戦いにくい相手だと思う。批判されてもまったく凹まないどころか、ヘタな批判は樋渡氏にとってプラスにしか働かない。樋渡氏に対しては、よほど感情を交えないで論理的に批判するか、無視するかのどちらかしかない。
結局、樋渡氏とは2日間で数時間に渡ってお話させていただいた。このほかにもおもしろい発言が幾つも飛び出したのだが、今回は、評価経済とスタートアップ経営というTechWave的な2つの側面から樋渡氏の人となりを切り取ってみた。