2017年7月18日からの3日間、京都、大阪、神戸を周遊して開催されたアドテック関西2017。最終日の神戸のKeynote講演に登場した辰馬本家酒造株式会社代表取締役社長 辰馬健仁氏は創業355年を超える白鹿ブランドを率いる若きリーダーである。「355年の事業承継と共に行う“市場承継”。古いものを壊し、創造するブランド戦略〜課題とデジタルコミュニケーションへの挑戦」をテーマに、長い歴史があるゆえの悩みや今後の展望を語った。
創業350年からの旅立ち
「私たち辰馬本家酒造の白鹿ブランドは創業355年の歴史を持ちますが、日本酒の酒蔵の中では決して長い方ではありません。500年を超えるブランドもあるこの業界、蔵元の数は1250軒にものぼります。予想以上に多かったでしょうか?でも、この蔵元の数はこの30年間で3分の2ほどにまで落ち込んでいるのです」
海外への輸出量の増加や、インバウンド需要などいいニュースが多い印象がある日本酒業界だが、実は危機的な状況にあるのだ。日本酒の消費量は40年前に比べ3分の1にまで落ち込み、アルコールの消費量の中でもシェアはわずかに6%しかない。
「このままではいけない、求められているのは旧来の白鹿を脱することなのではないかと私たちは考え350周年を機にロゴを変えました」(辰馬健仁 氏)
そう語りながら辰馬社長が参加者に披露した新デザインの長万天は白い鹿のシルエットを前面に押し出したもの。「白鹿」の漢字二文字が力強い旧来のはっぴデザインとは大きく印象が異なる。
「攻める姿勢をロゴから見せようということで、正面を向いた鹿を配置し、さらに日本語が通じない地域でも戦って行くのだという意思を表すため漢字ではなく鹿そのものをメインに据えました。白鹿というブランドそのものは変えず、表現を変えていく決意をしたのです。もちろん、なんでも変えていいわけではありません。私たちは4つの“変えてはいけないもの”を持っています。白鹿のブランド、白鹿の味、安心安全のためのクオリティ、そしてお客様を見て商売をすること。これは絶対に変えてはいけません」(辰馬健仁 氏)
確固たる改革の意志と守るべきものを明確に持っている白鹿が危機的状況に瀕している日本酒市場に向き合った時にとった戦略こそが「市場承継」である。
“日本酒のあるシーン”の創造
「今までの日本酒メーカーが発信して来たメッセージは日本酒の製造方法や原料の話などお勉強っぽい内容ばかりでした。でもそれでは、日本酒を飲んだことすらない人たちには全く届きません。
日本酒ビギナーを生み出し、ビギナーのための市場創出することを目標に、まずは“日本酒のあるシーンって楽しいよね”というメッセージを届けることにしました。もちろん、発信するためには開発が必要です。現代のライフスタイルにあった飲みきりサイズの500ml瓶の開発や、スイーツとのペアリングを提案する直営の店舗開業など様々なことにチャレンジしたのです」(辰馬健仁 氏)
なかでもデジタル施策とも絡めた大きな仕掛けとして「ソトノミ」の提案を2017年の夏から展開している。InstagramなどのSNSで女性たちに人気があるグランピングのシーンに日本酒を持ち込もうという挑戦だ。
「白鹿の博物館が所蔵している屏風絵に、殿様が庭園で食事をしながらお酒を飲んでみんなで踊っているシーンが描かれているんです。これってグランピングだよね、日本酒を外で飲むことをもう一度見直そうじゃないかと開発した商品が「ICE SAKE」。シャンパーニュと並んでも違和感のないボトルデザインと、氷さえ揃えれば冷蔵庫などがなくても冷たく飲めるロック向けの度数高めのお酒です。グランピングの本場イビザ島に持ち込むなど、この夏まさに発信中のメッセージです」(辰馬健仁 氏)
すでに商品は人気急上昇中とのことだが、ビギナーの開拓に邁進していくと昔からあるレギュラー商品にも新たな気づきが生まれてくる。
「今年のミラノサローネ、パナソニックの皆さんのレセプションで私たち白鹿のお酒を提供したころ、もち米を使った日本酒を『クリーミーだ』と褒めてくれたヨーロッパの方がいました。その日本酒は97年前に開発されたロングセラーですが、クリーミーという表現で評価されたのは初めてのことで、新しい飲み手に出会ったことで新たな発見ができたのです」(辰馬健仁 氏)
日本酒ビギナーという意味では海外市場も未成年も同じ。海外には海外向けラベルを、未成年には酒粕などの発酵食品を、とそれぞれにあったアプローチを行うことで、日本酒を飲み始める手前のマーケットを盛り上げているのだ。
「日本酒を売る“モノ作り”だけでなく、“コト作り”も行うのなら未成年にだって提供できるのです。そうやってこれからの市場を作り続けることが市場承継になっていくと信じています」
今まさに白鹿が作り始めている新たな市場がどのように育っていくのかはまだ誰にもわからないかもしれない。しかし、何もしなければ失われていたであろう市場に、自らの殻を破ることで挑戦していく姿は日本酒業界だけでなく、多くの老舗ブランド企業が真似したい頼もしさである。彼らが開発していく新しいコトがどう発展していくのか、さらにそれがデジタルマーケティングの中でどのように展開されていくのか目が離せない。
プロフィール
辰馬 健仁
辰馬本家酒造株式会社 代表取締役社長
兵庫県西宮市出身甲南大学法学部法学科卒業。同年三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)に入行。1999年に家業の辰馬本家酒造に入社。2001年取締役、2002年常務取締役、2004年取締役副社長、2006年に代表取締役社長に就任。創業355年、法人化100年を迎え、社会と共有する存在価値として「米を笑いに!」をテーマに、白鹿の酒造りのこだわりはもちろん、SAKEを楽しむシーン作りの提案に挑戦し続ける。
【関連URL】
・特集 ad:tech kansai 2017
http://techwave.jp/category/features/adtech-kansai-2017
会場で「思わず涙が出そうになった!」という声がたくさん聞こえてきた辰馬氏のスピーチはとても熱のこもった内容でした。355年の歴史を誇るブランドの殻を破かなければブランドが続いていかない、という逼迫したメッセージと実際の「ソトノミ」戦略などの展開を語ってくださいましたが、やはり参加者は「まだまだ模索中」という悩みを隠さずにお話いただけたことに心を動かされたようです。また、市場を承継するために「日本酒ビギナー」を生み出すという転換を選んだことで、今までアルコール飲料がターゲットにしてこなかった未成年もしっかりフォローしていくという戦略はアドテック関西3日間を通してのキーになる戦略。実は京都会場の和田浩子氏キーノートでも「ポイントオブエントリー(=ターゲットの境界にいる人)」を狙うというお話が出ており、アドテック関西のキーノートスピーチがここで一つに繋がっていたのです。