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岡嶋裕史著『ポスト・モバイル ITとヒトの未来図』(新潮新書 2010年7月刊)
かつて、「第5世代コンピュータ」という国策プロジェクトがあった。コンピュータのCPUが真空管、トランジスター、IC・LSI、超LSIと進化したあと、次の第5世代に登場するコンピュータを先取りしようという試みだった。
570億円を投じたプロジェクトは社会に大きなインパクトを与えることなく1992年に終結するのだが、いまからふり返ってみると、本当の「第5世代」はインターネットの普及だったのではないか、と思う。
そのインターネットの歴史をひもといてみると、やはりいくつかの節目があった。インターネットが社会に浸透する転換点を考察し、岡嶋裕史氏は、次の3つの転換点を挙げる。
第1の転換点:インターネットの商用解禁
第2の転換点:ADSLによる低廉なブロードバンドの普及
第3の転換点:携帯電話のアクセス端末化
インターネットは、登場、接続の常時化、そしてモバイル化と進化してきたのだ。ipad や iphone 4 の発売でモバイル端末の新しい地平線が開かれようとしている現在、たしかにモバイル化は第3の転換点と言えるくらいの大きな節目であることを実感する。
出版界も、この流れは見のがさない。
ipad や iphone を特集する雑誌がコンビニに並び、新刊書籍でも ipad,iphone 関連本の出版ブームが到来している。そこで、岡嶋氏は敢えて「モバイルのその先」について論じた本書を上梓した。
ipad,iphone にどっぷり浸かっている人も、「あんなもん、欲しくないもん」と“すっぱいぶどう”を決めこんでいる人も、本書を手にとってみることをお勧めする。
PCにない優位性を持つ携帯電話
破壊的な技術革新は既存の製品を扱う企業からは出てこないことを、クレイトン・クリステンセンは『イノベーションのジレンマ』で指摘した。
岡嶋氏も「基本的にIT産業は携帯電話に対して冷ややかであった」とふり返る。たしかに携帯電話は、画面は小さいし、ネットへの接続スピードは遅い。高性能PCとブロードバンド接続に慣れてしまったIT業界人は、携帯電話のネット接続がこんなに生活を変えてしまうほどのインパクトがあることを予想できなかったのかもしれない。
しかし、インターネットの接続端末としての携帯電話には、PCにない優位性があった。
PCにない優位性の第1は、簡単に持ち運べること。ノートPCがどんどん小さくなっても、携帯電話にかなわない。
優位性の第2は、操作が簡単なこと。岡嶋氏は「家電レベル」と表現している。
もうひとつ、位置や時間についてのサービスが、「知りたい」と思ったときに受けられる。GPSが示す現在位置を使い、周辺店舗のタイムサービスを携帯電話に配信するサービスが、すでに日常化している。
このようなモバイルの特性が、携帯を使ったインターネット利用を広め、ipad,iphone などの普及のおかげで、世はモバイル全盛時代をむかえようとしている。いつでも、どこでも、インターネットの向こう側からコンピュータ処理結果を引きだす生活が当たりまえになったのだ。
身のまわりに溢れかえるコンピュータ
本書から少し外れるが、「各家庭にあるモーターの数は、文明の尺度だった」、と学生時代に教わったことがある。
電気の通わない未開の地にモーターなど存在しない。電気が通じるようになると、人々は洗濯機や冷蔵庫のような家電製品を使うようになり、種類と数が増えるほど生活は便利になる。だから、かつてはモーターの数を尺度として文明の進みぐあいを比べることができた。
この「モーター=文明の尺度」説を教わったころ、あちこちにモーターが存在するのが当たりまえになっていた。家の中を見渡して目についたのは、「モーター」ではなく「時計」だ。液晶時計が低価格で手に入るようになったころで、洋服にあわせるために複数の時計を持つ人もあらわれたし、ラジカセや炊飯器にも時計が組みこまれるようになった。
モーターや時計が文明の尺度だった時代が終わったいま、身の回りに転がっていて、文明の進み方を示しているものは、間違いなく「コンピュータ」だろう。
パソコンや携帯電話はもちろん、テレビにもビデオにもコンピュータは入っているし、洗濯機にも、冷蔵庫にも、炊飯器にも、エアコンにも、空気清浄機にも、ちょっと複雑な機能を持つ家電製品には、すべてコンピュータが入るようになった。あんまり多すぎて、一つひとつを「コンピュータ」と思わなくなるほど、「文明化」してしまったのだ。
コンピュータどうしが結びついて起ること
岡嶋氏によれば、コンピュータが偏在(どこにでも存在)していたとしても、それらが点(互いに結びついていない状態)であるうちは問題ない。これから起ろうとしている「点」から「面」になる変化が実現すると、たいへんなパラダイムシフトが起る。
たとえば、あなたがスーパーマーケットに足を踏み入れたとき。
無事に入店できると、デジタルサイネージ(電子看板)が待っている。店内各所に設置された固定型、可動型、あるいは空間投影型の各種ディスプレイが、過去の購買履歴や今日の天候、湿度を鑑みて、最適な食材を提案してくる。
顔色をうかがって体調を推測し、それに応じた医療品を薦めてくるかもしれない。(中略)私の動線にには多数の固定型ディスプレイがティッシュ配りのアルバイトなど及びも付かない密度で待ち構えているのだ。
まるで、トム・クルーズ主演の「マイノリティ・レポート」の1シーンを見ているようだ。
携帯電話で情報を得ているうちは、携帯を閉じていれば見ないですますこともできるが、環境全体がコンピュータになってしまうと、もう逃げることはできない。
「私は基本的に自分が不幸になる様しか想像できないのだ」という岡嶋氏は、このあと、移動が贅沢品となり、恋愛や結婚までも仮想現実で済ましてしまう近未来もあり得ることを警告する。
「それは、善悪を超えて、単に事実です」という、岡嶋氏の不気味な断定が耳に残る一書だ。
ポスト・モバイル―ITとヒトの未来図 (新潮新書)
著者:岡嶋 裕史
販売元:新潮社
発売日:2010-07
おすすめ度:
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ブック・レビュアー。
1957年北海道生まれ。
日経ビジネスオンライン「超ビジネス書レビュー」に不定期連載中のほか、「宝島」誌にも連載歴あり。
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著書に『泣いて 笑って ホッとして…』がある。
twitter ID: @syohyou