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『デジタルネイティブ世代と、オールドタイマーの狭間で感じること』
~”当たり前の前提”という切り口から~
慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 修士2年生
鎌田慎也
こんにちは、はじめまして。
まずお前は何者だ?ということで、(出来るだけ)簡潔に自己紹介させて頂きます。
私は大学院の修士2年生です、世代的には社会人2年目。23歳です。
なので私は、世間的なデジタルネイティブ世代では、もしかするとないのかもしれません。
時期的には、ちょうど私が大学1年生の頃に、mixiが爆発的に大学内で普及していました。
それから5年後の今、大学院に於いて、デジタル放送波での情報配信の取組みと、デジタルサイネージなんかを、企業と行政の支援を頂きながら、一緒にやっている、凡人です。
日常は、iPhoneとmac bookを毎日持ち歩き、
朝起きるとメールチェックをした後、Googleリーダーに目を通し、
気になったトピックはtwitterへ、気になった写真はtumblrへ、それぞれアップし、
それらをFacebookとmixiに自動反映しておいて、
電車の中で読みたい記事はEvernoteにメモしておく。
思ったことは自分のホームページに(不定期)に投稿して、
毎日が始まります。
でもスケジュール管理は、未だに紙の手帳です。
長くなってしまいました。
話を進めます。
スマートフォンユーザーが本当に増えました、このところ一気にです。
それはデジタルネイティブ世代と、オールドタイマー世代、関係ないと思いますが、特に学生は就職活動もあるのでしょうが、爆発的に増えています。
都内の大学では、どこの大学どこの教室でもアンケートをとれば、半数くらいがそうだろうと思います。実感として。
そのスマートフォンから。
先日、後輩がiPhoneを買いました。彼は大学2年生、初めてのスマートフォン。
同じ頃、叔父がギャラクシーを買いました。叔父は47歳、初めてのスマートフォン。
両者ともデジタルガジェットに詳しいという印象はありません。
そして同じような質問を受けます、
スクリーンショットは?オススメのアプリは?こういう場合はどうすれば・・?
一生懸命二人ともトライします。
後輩は、「ぁぁなるほどー」と言いながら、ひとつひとつ覚えていきます。
しかし叔父は、一生懸命覚えようとするも、未だにメールと電話以外は、「抵抗がある」という決まり文句で小さな挫折を繰り返しています。
この差は何なのでしょうか。
この差について少し自分の意見を述べていきたいと思います。
その前に、前提として、ファクトベースのお話をします。
今の大学生や僕ら世代が、Twitterの申し子・うめけん君のように、みんながみんなデジタルネイティブということではないと思っています。
mixiはやっていますが、Facebookは未だに「mixiの海外版でしょ」という認識がマジョリティーです。
Evernoteを活用している人もあまりいなければ、本とノートは絶対紙!という人もまだまだ多いです。
そもそも日進月歩で進化するデジタルガジェットやツール、毎日毎時毎分ごとに動きのあるデジタル関連のニュースやネタを追いかけようとする興味はないのが普通です。あまり関心がないのだろうと思います。(それが悪いと言う意味では、全くありません、念のため。)
その点で言えば、大学院の研究を共に進める、日本のトラディショナルな企業にお勤めの現場の方々のほうが、よっぽどデジタルツールを日々活用していて、手慣れています。
また、地下鉄や山手線の中でお見かけするビジネスマンの方々のほうが、”スマート”にスマートフォンを使いこなしている印象はあります。
なので「デジタルネイティブの実態!」というような論調を見ると、大抵の中身に、あれ?それは一部で、マジョリティーはそこまで・・という印象を受けます。
そして、「人妻の実態!」「女子高生の実態!」というような一部の(エロ)雑誌と同じかな、と思うのです。
過激なほうがなにかと売れるので。きっと。
話しを戻します。
しかし何が決定的に違うかと言うと、“当たり前の前提”が違うのだろうと、思います。
物心ついた時から、ポケットの中にカラー画面のケータイがあり、誰に教わるでもなく、ボタンを押せば電話とメールが出来て、ネットに繋がって、思春期の頃になれば、家のパソコンで音楽や映像が “見放題” 。(いろんな意味を含めてカッコつきに。)
つまり自分自身がデジタルネタにさほど興味がなくても、学校の教室で話題になれば、「こんな感じかな?」という具合で、やってみる。
そうすると大抵の場合、できる。
この「こんな感じかな?」というのが、あるか、ないか。
これが私が思うところの“当たり前の前提”から派生する、世代間のギャップなのではないでしょうか。
一方、社会人になる前(学生の頃)にデジタルネイティブと言われる世代が持つ“当たり前の前提”が時代的に構築できなかった世代から上は、(1990年代後半で、その境目がくるようなきがしますが・・)
「こんな感じかな?」という感覚が刷り込まれていないので、仕事で必要に迫られない限り、なかなか抵抗があるのかなぁと、個人的には思うのです。
そして私は今、非常にビクビクしています。
それは新しい”当たり前の前提”の誕生が数年後に迫っているからです。
今10歳未満の子供たちが大人になったら・・
どうなってしまうのだろう。と。
私の従兄弟は、未だ6歳ですが、YouTubeでウルトラマンを見ています。
タダで全シリーズが見れるそうです。
これが彼にとっての当たり前です。
そして、物心ついたときから、SNSの生態系が成熟している時代で育つわけです。
レンタルDVDやマスコミュニケーションの概念すらないわけです。
私は来春から社会人の仲間入りをさせて頂き、とりわけ広告の仕事をすることになっているのですが、そう考えると本当に恐ろしいわけです。
自分のご飯食べられるかな・・と。
※(「広告」という言葉は時代にも合ってないですし、好きくないのですが、説明として使います。)
最後に、僕が最近興味があるのは、地域間でどの程度差があるのか、ということです。
東京とそれ以外、もっと言えば都心部に生活拠点を置いている人とそうでない人。
これ、だいぶ違うのかなと、思っています。
スマートフォンにしろ、Twitterにしろ、結構な差が出るんじゃないかと思います。
博報堂メディア環境研究所が実施している、メディア定点調査を見てもその傾向は出ていますが、どうなんでしょうか。
こちらは他の見識者の方にお譲りするとして、このへんで、23歳の学生は、筆を置きます。
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
デジタルネイティブという言葉の定義はいろいろあるみたいで、英語版のWikipediaによると最近は21世紀になって成長期迎えた人、ということになっている。とするとまあぎりぎり大学生も入るのかな、とは思う。とはいえ、鎌田さんの言うように個人差があるみたい。僕も年に数回、大学で講義させてもらう機会があるんだけど、学生さんと比べると僕のほうが全然デジタルだと思うし。w
やはり日本の場合、もう少し下の世代が大学生になり、社会人になるときが、大きな変化のときかもしれない。
慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科 修士2年生
大学時代、慶應体育会サッカー部に所属し、日本代表が使っているデータ分析の技術をアマチュアで初めて導入。16年ぶりの2部優勝に貢献する。
現在は、IP Data Castなどデジタル放送波と通信の融合サービスの実現へ向け取組む。
デジタルサイネージの分野も従事。
学外ではIMC TOKYOのパネラーなどたまに人前で喋りますが、大抵緊張します。
来春からは広告の仕事で社会人の仲間入りをさせて頂く予定です。
広告とファッションとデジタルメディアの中間で生きています、生きていきたいです。