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(前編)「テレビマンが起業家に伝えたい3つのこと」ダウンタウンDXの西田P (@jironishida) から企画のいろはを聴いてきた 【増田 @maskin】


[読了時間: 2分]

  「企画」とは何か?

 良いアイディア? 誰も思いつかない発想?

 創造すること自体の敷居が下がり続けているけれども、本当に良い企画というのはどういうもので、やって生まれてくるのだろうか。

 世の中には、たまたまマグレ当たりをして、お金が稼げたんだからそれでいいという人も大勢いる。

 けれども、ダウンタウンDXを大ヒットに導き20年間というロングセラーを達成してもなお、果敢に枠にとらわれず挑戦を続ける名物プロデューサー「西田P」こと西田二郎氏は眼光を強く輝かせながらこういう。

 「何だかわからないけど、成立している状態が企画なんです。ギリギリの中でしか、本当にいい企画を得ることはできません」。

 彼のリアリティあふれる経験の中には、社会人として、また長く生き続ける新しい価値を創造するイマジニアとしての黄金律があるように思える。

 この記事は、西田Pが起業家を対象にした企画についてのセミナーの内容をベースにまとめたもので、複数回に渡り公開していく予定だ。

テレビマンが起業家に伝えたい3つのこと

〜企画・実現・継続
主催:サムラインインキュベート

西田 二郎 Jiro Nishida (@jironishida)
読売テレビ編成局・東京制作センター東京制作部所属
チーフプロデューサー・演出家。大阪府寝屋川市出身。1989年読売テレビに入社。『EXテレビ』『ダウンタウンDX』など読売テレビの人気お笑い番組を多数演出。

誕生の瞬間はいつもギリギリ




 「テレビの世界で24年生きてきて、今が一番楽しい。そこだけは、嘘偽りなしに言えます。
どんな世界にも、どこかに賞味期限というものがあり。賞味期限がきたら、いわゆる “肩たたき” をされてしまう。当然、僕も “いずれくるでしょう。僕の賞味期限はいつなんだろう” といつも思っています。けど、だからって?

 特に、入社1年目、2年目なんかは何も成果が出せないし、むしろ先輩におんぶにだっこで、気がついたら失敗ばかりしているから、“よそ行けや” といわれてしまうのかな。作り手として、何か成果も出せないまま終わってしまうのかな、と思って、ドキドキ、ドキドキする日々でした。

 今日、この話を聞いている人は、これから自分の夢を実現していく人なんだろうと思います。それは起業という形でなくても、社会の中のひとつの自分の存在、自己実現というものとして、起業やベンチャーというものに限らず、会社の中でベンチャーの中で、あるいはパートナーと一緒にといった具合に成されていく。それが、社会の中の一つの意味合いかなと思います。

 僕自身は、正直言って 迷い、戦いました。

 会社の中では「ノーテンキな二郎ちゃん」と言われててたんだろうと思います。「いつも楽しそうに仕事して、ニコニコしてあいつはええなあ」という具合です。仕事ってミッションを背をわされ、精神的にも辛かったりするところがあって当たり前なのに、「あいつはやりたいことばかりやって、いつまでたっても子供やなぁ」と思われている20数年間です。けど、そんな感じで会社人生を半分以上確実に走り抜いています。

 実は、僕は僕なりに自分の中で秘訣みたいなものを持っていて、周りの人に許してもらいながら、大目に見てもらいながら、甘え甘えてここまでやって来た秘訣が!!

 あまりそういう人はいませんよね。なんか、かっこわるいですから。「俺すごい」って言っているみたいで。

 けど、僕は今日言います。すみません、えらそうなんじゃないんですよ。自慢話やったな、とか感想を持たられる人もいるかもしれませんが、忘れて頂きたくないのは、社会生活を24年過ごしてきて、こんなに楽しんでるやつおんのやと顔を覚えておいて下さい。

 みなさんが社会生活20余年を迎える時、僕のような顔をして、とか、30年とかの時でもいいですよ。是非、顔を思い出して言ってやってください。「西田さん、20年経ってもニコニコしてまっせ!」って。
誕生の瞬間はいつもギリギリ

 24年制作の仕事を続けてきている中で、自分が気づいたこと、企画をして感じたことなどをお話していければと思います。これまで、いろいろなことをやってきているんだな、と聞いていただければいいと思うんです。

 大阪のローカル番組をやったり、看板番組「鳥人間コンテスト」をハイビジョンで独自の視点で撮って国際賞をもらったり、制作会社に出向したり、「無添加ですよ!」という、街の人を巻き込んで、バラエティなんだけどタレントが一人も出てこない番組を作って賞をもらったりしてきています。

 今、「ダウンタウンDX」が2012年10月で20周年を迎え、依然突走っているんですけれども、それ以外にも大阪のローカルを中心にソーシャルで展開している「ガリゲル」を演出したり、木曜夜11時58分からのドラマ「でたらめヒーロー」では、コミュニケーションデザインとして、プロモーションとプロダクトをつなぐ仕事をしたりしています。

 また、局の垣根を越えた試みとして、北海道テレビ「水曜どうでしょう」の藤村忠寿ディレクターと二人で、テレビ埼玉で「たまたま」という番組を4月2日から不定期でスタートしています。

 放送のジャンルやプロジェクトのジャンルとしては型にはまらないようなことを、今もあえてやっていこうと思っています。最近では、ソーシャル展開という部分で、Twitterアカウントのフォロワーが12万人超となり、業界としては「ソーシャル、がんばっとるなぁ」みたいな人になっているので、色々なところで「ソーシャルとテレビの関係性を構築する試みについて」お話や講演をさせてもらっています。

 では、企画はいつ思いつくのか。そんな発想の源泉みたいなことについて話させてもらおうと思います。

 まずですね。「企画」っていうものは、、何なんでしょう。いいアイディアとか、誰もが思いつかないこととか、そんな企画が出せたらいいなあ、ってみんな思いますよね。僕もそう思います。けど、そんなものはすぐには出ないですねえ。何で出えへんのやろ、、、会議室で知恵を絞りますけど、出ませんねえ。

 やっぱりほんまに命をかけたアイディアというのは、追い込まれないと出ないですね、僕は。みなさんの中に、「俺、もう死ぬかも。。」という目にあったことがあるという人いますか? 多分、その時、色々なことを思い、感じると思います。だから、企画を発想できる人というのはビビリ なんです。そんなギリギリにビビリまくる人なんです。

 僕、すごく怖がりなんです。ダウンタウンDXで今でも20年前説をやってるんですが、さぞかししゃべりが上手くてオープンな人なんですよねとか思われているみたいなんですが、実はそうではなくて、まったくもって内向きです。できたら、一日中人としゃべらなくてもいいんです。何かいわれたらどうしよう。何か思われたらどうしよう。人見知り、そんな人間です。

 だから、人よりもギリギリになるところが早いです。今から思うと、これで救われたなーと思うようなことは ギリギリでした。

 「11PM」の後番組として上岡龍太郎さん、島田紳助さんを司会に深夜番組「EXテレビ」を立ち上げたたんです。まあ、先輩たちの意気込みがすごくて「11PMに負けたらあかん!」と視聴率の信憑性をテーマに何かやろうと、毎日先輩達がからんでいるわけです。

 当時僕はADをやらせて頂いてたんですが、正直、先輩たちが何を言ってるかわからず、コピーだとかお茶くみをしていたんですけど、放送が近づくにつれ「やばいぞー」「どうする?」と朝きて夜中の10時過ぎまで、みんなその場から動かないんですよ。「なんか、話題になる一発がほしい」けど、出て来ない!!日に日に先輩たちの焦りがひしひし伝わってきて、、、。これはまじでやばいなと思いながら、コーヒー買ってきたり。僕ができることはそれくらいですから。まだ、責任を感じてなかったんですね、僕は。

 でも先輩らのどんどん疲弊する顔をみた時、ホンマにこれはやばい!なんとか、僕みたいなもんでも、考えなアカンなって!

 その時、視聴率表というものが、デスク周りにバラバラにちらばっていまして、目を向けたんです。NHKやいろんな放送局などなど。けど、その表を見ていて、「?」
NHK教育の視聴率の推移を見ていると、EXテレビが始まる23時55分頃、NHK教育は放送自体はやっているんですが24時過ぎると放送終了前に視聴率がゼロになっているんです。

 そこで「すみませーん! あの、NHK教育放送終了時に「NHK教育にチャンネルを合わせて下さい」といったら視聴率動くんとちゃいますかね?」と言ったんです。そしたらその場にいた全員、飛び付きましてね「それやああああああああああ!うおおおぁあああ!」となったんです。「これや!視聴率動かせるぞ!!」って。その瞬間、僕自身は事の重大さはあまりわかってませんでしたが、なんか貢献できたんやって嬉しかったですね。

 その時、感じたんです。先輩がここまでやっているのなら、やってるところじゃないところほど可能性はあるんじゃないかと思ったんです。ここポイントなんです。みなさん、仕事をやっている時、「みんなで一緒に何かに向かっている」ということがあると思うけど、同じところを堀っていませんか?。もし、3人が同じところを堀っていたら、自分だけは別のところを堀っているかどうか?

 番組で、二人が教育にチャンネルを!って呼びかけた翌日、視聴率はピョコンっと!上がったんです!!!!
 翌日、「やったな!やったな!」って社内も凄いことに!!!

 EXテレビのケースは、プロの先輩と同じところは堀れないという考えで、全然違う観点で堀ったことが功を奏していい結果が出たんだと思います。翌日、新聞に大々的に取り上げられ、雑誌にもあっぱれといわれ、最優秀賞もいただきことに。

 ただ、成果はもちろん先輩のものです。僕は、アシストしただけですから。先輩に当たるスポットライトを見ながら一瞬、寂しい思いも抱きましたが、その時に思いました。そんな良い企画を出せたのであれば、一個だけじゃなくて、これからどれだけいいもの出していけるかが、僕の勝負だな。まずは先輩が欲しいと思うアイディアを出せる人間になろう。そして自分がディレクターになった時、こういう機会になった時に、この出来事をふまえ、感謝ししゃべれる自分になろうと勝負をしてきました。

 そして今、しゃべっている!大感謝です!!!!

 それから、いいもの思いついたり、思いつかなかったり、先輩との固有の関係は、仕事の関係を超えていつしか兄弟みたいになっていきました。

 けど、ダウンタウンDXはじめる時に、先輩とは離れることになります。悲しかったけど、これもまた自分に課された勝負かって。

 先輩も、一緒にやれなくなるのは残念だったんでしょうけど、僕のこと思って背中を押してくれたんですね。

 それから十数年の月日が流れてお互いの世界で勝負してましたが、その先輩は、出世し、僕の上司として現在一緒に仕事をしています。ものすごいやりやすいです(笑)。お互いギリギリを経験している間柄ですし、僕のアカンところも何もかも知り尽くされていますから。

 先輩には凄い感謝しています。対外的に評価が出ることが大切なんではなく、一緒につきあっている先輩、チームとの固有の関係こそが全てなんですよ。そして、先輩やチームに絶対かなしい思いをさせたくない。だから、自分がいる意味がある!!

 僕、すごい甘えさせてもらっていて、大目にみてもらっていると思います。大好きな人たちに甘えまくってます、先輩にも、チームにも。だからこそ、その人に対して、何らかの恩を返し続けていきたい。

 それこそが、もういちど言いますが「全て」です。

  (続く)

テレビ演出家、プロデューサー 西田二郎

1965年寝屋川市に生まれる。
1989年、大阪市立大学経済学部卒業
よみうりテレビに入社。

伝説の深夜番組「11pm」のクロージングに関わった後、関西から全国へ挑戦した最後の深夜番組「EX TV」の立ち上げに関わる。(上岡龍太郎、島田紳助)
「視聴率に挑戦」した回では、番組終了後、NHK教育テレビにチャンネルを換えて!と視聴者を挑発。その時間、0%であった数字が呼びかけで一気に数%はねあっがた快挙が「ギャラクシー賞最優秀賞」の名誉を得ることとなった。
 また、西川のりおを乳母車に乗せて町行く人たちに行けるところまで押してもらうだけの企画「押して!」を演出。関西ディレクター大賞新人賞を受賞。
ハイビジョンでオリジナルの視点で演出したもう一つの「鳥人間コンテスト」で、世界のハイビジョンの映像祭、エレクトニックシネマフェスティバルで監督賞を受賞した。
 その後、プライムタイムで「ダウンタウンDX」を演出。何度も番組方向を変えながら、「国民投票」「スター発想辞典」「視聴者は見た!」などのヒットコーナーを開発する。
 その頃、深夜番組でも「HAMASHO」を立ち上げ「風俗刑事」など、放送ギリギリの企画にも挑んだ。

 
1998年、よみうりテレビと吉本興業の合資で、制作会社「ワイズビジョン」を設立。メンバーとしてあらゆる放送局と番組を制作する。主なものは、「うっひゃーはなさかロンドンブーツ(フジテレビ)」「スキヤキ!ロンドンブーツ(テレビ東京)」「わらいのじかん(テレビ朝日)」「ごっつええ感じスペシャル(フジテレビ)」「松紳(日本テレビ)」など。
バラエティ以外も、「ドキュメント松本人志の本当(NHK)」を演出。コントビデオ「ビジュアルバム」を演出。

テレビの番組以外にも、様々なジャンルで創作を始める。雑誌マリクレールにコラムを掲載、TBSラジオ、ABCラジオにも出演、インターネットラジオを演出出演、などテレビという枠組みにとらわれない活動からテレビを見つめ直す機会を得た。
松本人志、高須光聖のラジオ「放送室」でも、たびたび話題にあがってスタジオで笑いを誘っていたらしい。

ダウンタウンDXにおける前説は、番組当初から現在まで20年間、自身で勤め番組をあたため続けている。
2002年よみうりテレビに戻ってからも、意欲的に様々なジャンルの番組を開発する。不定期ながらタレントが一切出てこないバラエティ「無添加ですよ!」を開発、町行く人に携帯電話を渡して大阪から様々な人にリレーしてもらう「いきなり!ケータイリレー」で、民放祭連盟賞優秀賞を受賞する。因に、ケータイ電話は今、静岡県菊川まで来ている。
「ケータイリレー」のほか、JR西日本と手を組んで「乗りつぶしの旅」を開発。
駅から降りてきた人にどこから乗ってきたかを聞いてその駅まで行くことを繰り返し関西一円を乗りつぶそうとしている。
また、全国を股にかけるトンでも企画「全国47都道府県!出身地の旅」でもどこの出身地か聞いてその県まで行く事を繰り返す手法で展開している。
 
 現在、「ダウンタウンDX」を演出するほか、春から、「無添加ですよ!」の兄弟番組「ガリゲル」を演出。最近、希薄になりつつある人との「つなガリ」をテーマに、おかんをおんぶしてもらう「おかんおんぶ」や、名前の由来を聞いて歩く「名前50音の旅」など、様々な企画を展開。
ツイッターをはじめとするソーシャルな展開で、関西ローカルに限らず各地方に番組販売が促進されるほか、放送外地域の東京でも、人が勝手にあつまって上映会を実施するなど放送に特化しない展開が注目されている。

(続く)

【関連URL】
・ダウンタウンDXの西田Pによる『企画』のいろは
http://everevo.com/event/4191
・Samurai Startup Island
http://samurai-startupisland.asia/

蛇足:僕はこう思ったッス
西田Pの人生をふりかえるような内容の話。限界ギリギリの中で、ある1点の光明を得ていくという話に、僕は身体がふるえる思いをした。
あれよあれよという間にマネーゲームが進むIT業界の企画とは水を分けるような気もするが、一人の人間が、社会的諸関係の中で突き抜けていくという流れのなかで、西田Pの言葉はつきささるような力を持っていた。企画というのは人の力そのものだということをあらためて知った。後半以降は、より具体的な話になっていく。ご期待頂きたい。
著者プロフィール:TechWave 編集長・イマジニア 増田(maskin)真樹
変化し続ける高エネルギー生命体。8才でプログラマ、12才で起業。18才でライター。道具としてのIT/ネットを追求し、日米のIT/ネットをあれこれ見つつ、生み伝えることを生業として今ここに。1990年代はソフト/ハード開発&マーケティング→週刊アスキーなど多数のIT関連媒体で雑誌ライターとして疾走後、シリコンバレーで証券情報サービスベンチャーの起業に参画。帰国後、ネットエイジ等で複数のスタートアップに関与。関心空間、@cosme、ニフティやソニーなどのブログ&SNS国内展開に広く関与。坂本龍一氏などが参加するプロジェクトのブログ立ち上げなどを主導。 Rick Smolanの24hours in CyberSpaceの数少ない日本人被写体として現MITメディアラボ所長 伊藤穣一氏らと出演。活動タグは創出・スタートアップマーケティング・音楽・子ども・グローカル・共感 (現在、書籍「共感資本主義」「リーンスタートアップ」執筆中)。@宇都宮ー地方から全国、世界へを体現中。

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