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横田いたるさん(左)と前川進介さん 写真提供:井口 元さん
「どんだけええこと言うたかて、名前も知られてないんやったら意味がない。選挙は勝たな意味あらへんのや。選挙にはカネがかかるんや。あんたはお金持ちかも知らんけど」ー。11月18日に兵庫県丹波市議選で当選した横田いたるさんが、選挙期間中に開いた演説会で横田さんに対して寄せられた典型的な住民の意見だった。
横田さんに、おカネの余裕はなかった。あるのは、熱い思いと行動力、ITリテラシー、それに仲間たちだけ。これは村型選挙と呼ばれる古い選挙のありかたに挑み、出馬決意からわずか10日で当選を勝ち取った仲間たちのストーリーである。
ネットは「バカと暇人のもの」から、実名で前向きな人のものに
横田さんは前職の人材紹介会社リクルート・エージェント時代に、リーマンショックで求人が激減するのを目の当たりした。その後、求人が少しずつ回復していったが、新しい求人は海外での仕事がほとんど。しかもその仕事は、海外の人たちのスキルが向上するにつれ日本からの派遣が不要になるようなタイプのものばかりだった。
日本から職がなくなるー。
グローバル化が進む中で、これはどうしようもない現実だった。
新しい職を作らないといけない。決して裕福にはなれないが、それでも幸福感を感じる価値観を作らないといけない。人間らしいライフスタイルを送ることのできる場所を作らないといけない。
横田さんはそう考えて、兵庫県丹波市に35年ローンで中古住宅を購入し、移住することにした。
横田さんは三重県出身。縁もゆかりもない地域へのUターンならぬ「I(アイ)ターン」だ。
サラリーマン時代に住んでいた大阪から約1時間半という地の利。それに豊かな自然と「丹波の黒豆」に代表される食文化のある地域。丹波も過疎化が進む一方だったが、ここを活性化させることができれば高齢化が進む日本の中でモデルケースを作ることができるのではないか。横田さんはそう考えた。28歳のときだった。
もちろん妻のまゆみさんは反対だった。突然の独立、知らない土地への移住。2人の子供たちはまだ小さくて手がかかるのに、移住してからの夫は地域活性化の仕事のために走り回る毎日。夫婦共働きでわたしも頑張っているのに、普通の幸せな家族の生活を送りたいだけなのに、なんて勝手な人なんだろう。何度も離婚を考えた。
仕事といってもお金になるような仕事はほとんどしていない様子。うちわ作りをやってきた丹波のおじいさんたちと、東京渋谷をインターネット回線で結び、渋谷のギャルに対し、おじいさんたちが竹でうちわを作る方法を教えた。ギャル達は大喜び。何人かの女の子は、その後旅行で丹波を訪れ、おじいさんに会いに来てくれた。こうしたイベントには半信半疑だったおじいさんたちも、自分のやってきたことが若者に喜ばれるということが嬉しかったのだろう。「次またやろう」と言ってきてくれるようになった。
ただこうしたイベントは一銭の利益にもならなかった。一銭の利益にもならないような「仕事」ばかりだった。
それでも横田さんの熱意にほだされた若手の経営者たちが、横田さんの周りに集まり始めた。横田さんは何社かの経営コンサルティングを受け持つようになり、なんとか生活できるようになってきた。
横田さんが、丹波に提供できる価値の1つは、横田さんの仲間の多さだった。
横田さんは、もともと人から好かれる性格ではあった。だがそのころから日本でも普及し始めたFacebookが横田さんの人とのつながりを一気に加速していった。「こんな人と友だちになりたいな、こんなことがしたいなって思ったことが次々と実現するんです。ほんと奇跡のよう。わずか1年でこれだけ多くの友人に恵まれるようになるとは思ってもいなかったです」。横田さんはそう語る。以前なら10年以上もかかったかもしれない人とのつながりの構築が、わずか1年でできてしまったのはやはりFacebookの力が大きい。それまでインターネットは、バカと暇人のものだと一部では言われていた。そういうタイトルの本まで出版されている。しかし今やインターネットから最も大きなメリットを受けているのは、実名で前向きに生きているパワーあふれる人たちなのだと思う。ネットは、日本でも前向きな人たちのツールになってきているのだ。
彼の前向きな情熱は、どんどん周りに伝播していくことになった。家業を継ぐために丹波に戻ってきたスポーツ店の二代目経営者の田口穣さんも、彼の熱意に影響された一人だった。「ここはオレの戦うフィールドじゃない。丹波に帰ってきたくはなかったんだ。ずっとその気持ちがあったんです。でも彼はいつも明るい声で私に言います。丹波いいじゃないですか!って。いいところいっぱい挙げてくれます」。
ここ何年か田口さんは、仕事にだけ没頭していたという。自分のスキルを上げる。成果を上げる。生産性を向上させることだけを考えていた。「結果を出せないやつは生きている意味がない、とまで思っていました。人や社会に貢献することを忘れた人間。それがわたしでした」。
ところが横田さんが、いろいろな人に会わせてくれるようになった。田口さんは「彼は意識してなかったと思いますが、いつも僕の外との扉を開こうとしてくれていたんだと思います。人間として復活できる方向性を指し示してくれたんだと思います」と語る。今はインターネットのおかげで、多くの人とつながることのできる時代。暖かい関係を維持できる時代だ。人は、人との暖かいつながりを通じて自分らしさを取り戻し、輝きを増していく。横田さんはこの1,2年でネットを通じて自分が体験してきた「奇跡」を、田口さんにも体験してもらいたかったのだと思う。
平均年齢60代の市議会に、準備なく突然出馬
横田さんはNPOや自治体との連携にも力を入れていった。丹波地域のビジョン委員会や丹波市総合計画の立案にも参加した。
しかし自治体の動きに対しての不満を覚えることもあったようだ。ローカルFM局を開局するために仲間と行政に働きかけていたのに、自治体側の担当者が変わったことでそれまでの努力が振り出しに戻ることもあった。
「いろいろと溜まっていたものがあったのかもしれません」。横田さんの友人で隣町の篠山市で内装店を営む細見勇人さんはそう語る。「市議選の告示日が11月11日の日曜日なのに、その前の火曜日に突然、出馬したいって友人たちに宣言したんです」。
横田さんの友人で縫製業を営む竹内真泰さんは「びっくりしました。新しいこと、おもしろいことを次々しかける男なんですが、まさかこのタイミングで選挙に出るって言い出すとは思ってもいなかった」と語る。あまりに突然だったので、何人かの友人たちは思いとどまるよう横田さんを説得したのだと言う。
妻のまゆみさんに出馬の意向を伝えたところ、当然ながら大反対。「出馬するなら離婚してからにして、と言われたみたいです」(細見さん)。
妻にそう言われれば諦めるしかなく本人はかなり落ち込んだようだが、友人たちは「奥さんの言う通り。出馬しなくてよかったんだよ」となぐさめた。
丹波市に限らず、田舎の選挙はかなり保守的だ。選挙の結果が補助金や公共工事につながるので関係者は必死になる。商店主は、商売に影響するので特定の候補者を支持することは得策ではない、といわれる。1つの地域で票を取り合わないように、同じ地区から若者が出馬しようとすれば周りから大変な圧力がかかることもよくある話だ。丹波市でも投票率は70%前後と非常に高い。選挙が住民にとって大きな関心事であることが分かる。現職議員はほとんどが60代。30歳の横田さんを除くと、今回の最年少候補は51歳だった。
そういう状況なので、当選したいのであれば、地元の有力者や団体に取り入るなど何ヶ月も前からの周到な準備が必要。それなのに横田さんは告示日の数日前に出馬を思いついた。選挙運動ができるのは告示日から投票日前日までの1週間だけ。地盤も支持団体もない横田さんが選挙に勝てるわけはない。だれもがそう考えた。そう考えるのが普通だった。なので「出なくてよかったんだ」という話になる。
ところが7日水曜日の深夜近くになって横田さんは友人の経営者の前川進介さんに「やっぱり出馬する。今からそっちに行っていい?」と電話をかけている。まゆみさんの態度が「絶対応援しないけど、出馬したいのなら勝手にすれば」に幾分軟化したのだ。
出馬できる!出馬しても離婚されない!興奮した横田さんと前川さんは勢い余って地元の有力者に今から相談に行こうということになり、電話をかけたものの、当然ながら「もう夜も遅いので」と断られる。当たり前の話だ。それでも勢いは収まらず、次に田口さんに電話をかけ、呼び出した。田口さんが、家族が寝静まる家を抜け出して、自分のスポーツ店で横田さん、前川さんと落ち合ったときには、深夜というより未明に近い時間帯だった。3人は店内に入り、ロールスクリーンを下げ横田さんの選挙ポスター用の写真を撮った。ほかの候補はプロのカメラマンに写真を取ってもらうのかもしれない。でも横田さんたちには、時間もお金もなかった。そのときに田口さんがiPhoneで撮影した写真が、選挙ポスターに使われることになった。
選挙ポスターに使われることになったiPhoneで撮影した写真 写真提供:田口穣さん
30代ぼくたちの10日間戦争
翌朝からはバタバタした日が始まった。告示日まであと3日。会っておかなければならない人、会っておくべき人へのあいさつ回りや、書類作成、提出などに忙殺されることになる。
選挙事務所が決まったのが告示日の2日前。今はだれも使っていない倉庫を事務所として使わせてもらえることになった。電気も水道も通ってなかったが、電気だけは隣の民家から貸してもらえることになった。といっても隣家のコンセント一つから引っ張ってきただけ。底冷えする夜中にコタツのスイッチつけると蛍光灯が消えた。さすがに明かりが無いと仕事ができないので、仕方なくコタツの暖を諦めた。
トイレもなかった。建設業の友人が工事現場に設置するような仮設トイレをもってきてくれたが、ドアを閉めると夜はトイレの中が真っ暗闇になった。
横田選挙事務所に車が止まっているだけでうわさになる村社会。友人の中には仕事上のしがらみで応援したくてもできないという人も多くいた。そんな友人の一人は、事務所が寒いと聞くと、だれにも見つからないように夜中にこっそりと来てストーブを置いていってくれた。
底冷えする倉庫が事務所 写真提供:井口元さん
細見さんは机と照明器具を貸すことになったのだが、話を聞くと選挙カーもないという。「選挙カーのあてもないのに立候補するってどういうことやねん」と思ったが、仕方がないので細見さんのお店のワゴン車を提供することにした。「各種内装工事全般」という宣伝の文字が消せないままの選挙カーとなった。
選挙カーも手作り 登録にぎりぎり間に合った はしゃぐ田口さん 写真提供:竹内真子さん
オーダーカーテン・カーペットという文字が残る選挙カー
後援会長となった前川さんを含め、だれもが政治の素人だった。分からないことだらけなので選挙管理委員会に出向き、ルールブックをもらうと同時に掲示予定のポスターのコピーを見てもらった。そこでポスターに問題ないと言われたので印刷に回したところその後「不備があり、公職選挙法違反に当たる」という連絡があったのだという。掲示責任者と印刷会社の記載が抜けているという理由だ。「問題ないって言ったじゃないですか」と反論しても選挙管理委員会は、「ルールブックに書いてある」の一点張り。仕方がないのでみんなで修正テープをポスターに張る作業を始めた。ただでさえ少ない時間がさらにこの作業に奪われることになった。
こうしたこともあって序盤戦は明らかに不利だった。他の陣営は平日なのに選挙事務所に多くの支援者が集まっていた。支持者に、定年後で自由な時間がある人が多いということもあるだろうし、日当を払ってスタッフを多く抱え、事務所の電話で電話帳などの名簿を使って電話をかけまくっていたようだった。
一方で横田陣営は人手が不足していた。横田さんの支持者は、30代を中心とした働く世代。日中に選挙を手伝える人は少ない。突然の出馬だったため出張などの以前からの予定を動かせない人も多かった。後援会長の前川さんも序盤戦に東京に行かなければならなかったし、横田さん自身も京都での仕事で不在になることがあった。最初は選挙カーの運転手、ウグイス嬢もいない状態だった。
竹内さんは、横田さんの演説会を市内の自治会で開催してもらおうと幾つもの自治会に連絡したが、「そんなことは選挙が始まる前に準備するもの。選挙の真っ最中に今さら頼んでこられてもどうしようもない」とほとんどのところで相手にされなかった。「選挙をナメてるのか」と怒られることもあった。
その半面、うれしい予想外の出来事もあった。まゆみさんが一転して横田さんを応援するようになったのだ。愚痴を聞いてもらおうと実家に電話したところ、父親から「今度だけは、いたるくんを助けてやれ」と諭されたのだという。
2人の保育園児の世話をしながら選挙カーでのウグイス嬢も務めたし、選挙事務所に詰めるようにもなった。
ある日、保育園児を送り出したあと、差し入れのおにぎりをたくさん持って事務所に現れた。おにぎりのラップには1つ1つ「勝利」と書かれた紙が貼ってあった。前川さんは「出馬以前から横田家とは家族ぐるみの付き合いをしてきたんですが、仕事一辺倒のダンナに奥さんは相当愛想をつかしていたんです。その奥さんがこんなことまでしてくれたんだ。そう思うと涙が出そうになりました」と言う。今まで夫は外で何をしているのかまったく分からなかったのだが、多くの人たちがここまで親身になってくれるほど、夫は地域社会に貢献していた。立派に働いていた。まゆみさんは、そのことに気づいたのかもしれない。
一方ほとんどの自治会で門前払いを受けていた竹内真泰さんだったが、竹内さんが所属する地元の町おこしのグループを通じてある自治会の会長に接触したところ、横田さんの演説会のために自治会のメンバーを集めてもいい、という話になった。竹内さんには、飛び上がりたいくらいにありがたい申し出だった。「若い人に選挙に出てもらいたいと思っていた。ぜひ話を聞きたい。人を集めてあげるよ、って。めちゃくちゃ嬉しかったです」と竹内さんは語る。
この演説会場には、横田さんの妻のまゆみさんもかけつけ、候補者の妻としてあいさつした。人前で話すことなどほとんどなかったまゆみさんが、ゆっくりと正直に自分の言葉で話し出した。丹波に来たくて来たわけではなかったこと、でも住めばいくらかは愛着が出てきたこと、夫が地域活性化の仕事でほとんど家にいないこと、子供たちの将来のためによりよい地域社会になってもらいたいこと、などを丁寧に話していった。その真摯な話しぶりは感動的ですらあった。自営業で青年会議所の活動にも熱心な竹内真子さんは「まだ若いのに、すばらしいと思いました」と絶賛する。
どういう段取りで演説会を進めていいのかもだれも分からない中、田口さんが「僕にも一言、言わせてください」と手を挙げた。田口さんは「選挙はだれに投票しても同じと思ってました。当選したら言うこと変わるし・・・。なので生涯政治にかかわらず、自分の身は自分で守ろうと考えてきました。でも横田なら、丹波のために、子供たちの未来のために一生懸命やってくれると思いました。もし彼が目的を履き違え、選挙に勝つことを目的にし選挙のための政治をするようになったら、僕が責任を持って彼を引きずり下ろします」と涙ながらに訴えた。
最後の演説会で涙ながらに思いを語る田口さん 田口さんを筆頭にみんな泣いて泣いて泣きまくった 写真提供:井口元さん
後半戦では、チームの体制も整ってきた。前川さん、田口さんは、横田さんが主宰する経営者塾の塾生であり、横田さんから学んだSWOT分析と呼ばれる経営分析手法を選挙戦に応用することにした。自分たちの強み(Strength)、弱み(Weekness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)を正確に把握し、それを基に戦略を立てていった。
竹内真子さんは、事務所に常駐。裏方の仕事に専念した。縫製業を営む竹内真泰さんは、地元での友人の多さを武器に電話戦略のリーダーを務めた。
前川さんは「中には大阪からきて泊まり込んで手伝ってくれる人もいた。支援者の数は他の陣営よりも圧倒的に少なかったけど、候補者を応援したいという気持ちはどこの陣営よりも強く、最強のチームが出来上がったんだと思います」と語る。
最後の演説会であいさつするまゆみさん、見守る横田さん 写真提供:井口元さん
日本各地の友人がネット上で支援、情報はLINEで共有
公職選挙法はもともと、資産家が有利にならないように候補者のマスコミの利用を規制する目的で制定されている。この法律が、無料で利用できるインターネットやソーシャルメディアを規制すべきかどうかは意見が分かれるところだ。公職選挙法に触れてはならないので、横田さんも後援会も一般公開設定上でのネット活用は控えた。ただ次の2つの使い方で、インターネットは大きな力を発揮した。
候補者、後援者がネットを使うことがもしだめだとして、丹波市在住ではないほかの地域のユーザーが横田さんの選挙のことを話題にするのはどうなのだろう。後援会長の前川さんが調べたところ、そのことに対する司法の判断はまだなく、一度東京都の選挙の際にネット上で話題になったことがあるものの、その際にもそれを問題視する意見が多かったというわけでもなさそうだった。
出馬前から横田さんにはネットを通じた仲間が全国に数多くできていたということは前述した通り。そうした仲間たちが頼みもしないのに、ネット上で応援メッセージを発信し始めた。前川さんが告示前に、横田さんの出馬表明と選挙ポスターの基になったiPhoneで撮った写真をFacebook上にアップしたところ、26人がシェアし、162人が「いいね!」を押している。この写真は恐らく何万人もの目に触れたことだろう。横田さんの日頃のネット上のつながりが、大きなプラスに働いたのだった。
効果的だった使い方の2つ目は、支持者、友人たちを集めたFacebook上の非公開グループやスマートフォンアプリ「LINE」を使った情報共有だった。丹波在住者たちは公開フィード上では情報発信を控えたものの、このグループ内やLINE上で、有権者が集まりそうな場所や、他陣営の動きなど、身の周りの情報をどんどん共有していった。後援会長の前川さんは、SWOT分析の手法を使ってこれらの情報を分析し、演説場所や、選挙カーの回るルートを決めていったのだという。
困ったことがあればグループの中に投稿することで、だれかが解決してくれた。「ポスターの印刷を地元の業者に頼めば、告示日には到底間に合わない」。そう投稿すれば、グループメンバーの一人が一日納期の業者をネット上で発見してきて注文してくれた。「事務所にトイレがない」と投稿すると、グループメンバーが「うちに仮設トイレありますよ」と手を挙げてくれた。グループと情報を共有することで、問題がスピーディかつ安価に解決できた。
選挙には最低でも300万円はかかるといわれる。後援会長の前川さんによると、今回の選挙運動には30万円もかかっていないのだという。「ITのおかげです」と前川さんは言う。
結局、横田さんは1784票を獲得。20議席中、9位の得票数で当選した。カネがなくともネット上の仲間と熱意さえあれば、立派に戦える時代になったということを身をもって示した。
今回の選挙を総括して後援会長の前川さんは、「若くて資質のある人が立候補したくても同じ地域に現職の議員がいれば出馬させてもらえない『村型選挙』を続ける限り、町の発展は遅れる。今回横田は、若者でも『村型選挙』を打ち破れることを証明した。このことは、4年後の選挙ではさらに多くの若者の立候補につながると思います」と語る。
選挙を手伝った谷水ゆかりさんは「実際に選挙カーで回っていると、次回は出馬したいと言ってきた若者がいました」と言う。市民活動家の橋本安彦さんも「大変喜ばしい。この流れでより多くの若者が政治に参加し、男女共同参画の流れに結びついてほしい」と語っている。
当選確実の報にバンザイする関係者 写真提供:井口 元さん
横田さんはTechWave塾大阪の塾生OB。9月に佐賀県武雄市に樋渡啓祐市長を訪ねていったときに同行し政治家次第でここまで行政が変わるという事実に大きな感銘を受けていたので、いずれ政治を目指すのではないかと思っていたが、まさかこんなに早く行動に移すとは。
ネット選挙はなかなか解禁にならない。でも解禁にならなくても、ネットを使って戦えるという実例だ。別にネット選挙が解禁にならなくてもいいと思う。選挙期間の1週間だけネットで主張、宣伝しても意味がないから。
大事なのは、候補者の日頃の活動や考え方をソーシャルメディア上でさらすこと。それが支持者を集め、出馬を決めたあとの大きなパワーになる。
国政レベルではゴタゴタが続き何も変わらないのではないかと思える国、日本。この動きが全国に広がり、より多くの人が政治を身近なものに感じることができれば、自治体レベルから日本を変えられるかもしれない。
地元で苦しみながら少しずつ改革しようとしている若い政治家志望者はみな、ネット活用は当然やってる、コスト削減もやってる、熱い仲間もいる。横田氏の成果が、それらとどうちがうか、みんな知りたがっている。
おそらくネット側という話ではなく、経営戦略を導入したことが一番の要因。そういう前提でソーシャルメディア趨勢の時代には多様な戦略が取りやりやすいということがこの成功の背景にあると思う。
地元にいる人はみな、かつてのように、地方が都心から来た人の焼畑にならないようにという意識がかならずある。そういう意識が強過ぎているのか、村社会の中であえぐだけで終わってしまうことの方が多いように思える。
横田さんの事例が、地域からイノベーションを興こそうという人にとって役立つ事例になってくれればと思う。こうしたIターンは、新しい血として地域活性の火種となるか、応援しながら注目したい。
ネット利用は必要条件だけど、十分条件じゃない。そういうことなんだろうなあ。
高齢の候補者と違って、安くスピーディーに選挙戦を戦えた背景には、やはりネット利用があるのだと思う。ただだからといってそれだけで勝利できるというわけではない。マスキンは戦略を挙げているけれど、僕が取材して思ったのは、戦略を練るのが上手な前川さん、田口さんを含む、最強のチームができたということが勝因なんだと思う。妻のまゆみさんが応援する側に回ったことは、チームの士気をものすごく高めたし。
スタートアップなんかをみても、競争優位性はチームということが多いけど、選挙も同じなんじゃないかな。それぞれに異なる強みを持った人が補完しあうというチームの組み合わせが、どれくらいパワーを持てるのか。それが、勝つチームと負けるチームの違いのような気がする。