なっ何なんだ、このむちゃくちゃなタイトルは!
この本の読み方は主に3つ。
1)石黒不二代という摩訶不思議な生き物の生態を知るために読む。
2)シリコンバレーやスタンフォード大の特徴を知るために読む。
3)組織論として読む。
ほとんどの人は、この3つの読み方のうちのどれかで読むことになると思う。
僕は少し違っていて、この本を読みながら、「情報化社会はこうした考え方が主流になるのだろうな」と漠然と考えていた。
今現在われわれは工業社会から情報社会への移行期を生きている。この認識は多くの人が共有しているところだろう。しかし国や地域によって、移行期のどの段階を経過中なのかは異なる。アメリカの経済紙と日本の経済紙を読み比べれば、はっきり分かる。アメリカは情報産業のニュースが中心であり、日本は製造業のニュースが中心である。
ニュースだけではない。日本には、まだまだ工業社会の仕組みが数多く残っている。
その代表例が大学などの教育制度だ。決まった時間に始まり、教師の言われるがままに勉強する。これは、工場労働者を教育するために最適化された方法だ。それが情報社会になろうとしているのに、今だに継続されている。クリエイティビティを高めるために、机を並べて一斉に作業を始める必要があるのか、と言いたい。
こんな感じの教育でこれからの情報化社会に役立つ人材を輩出できるのだろうか。心配になるときがある。
情報化社会の教育は、もっとピア・ツー・ピア的なものになるべきだ、となんとなく思っていた。でも具体的にどんな形がいいのかは、なかなか思いつかなかったのだけれど、この本によるとスタンフォード大がまさしく情報化社会に合ったP2P的な教育方法を実践しているようだ。
例えば学生の採用の基準が、ほかの生徒にどれだけプラスになるのか、であったり、地元の起業家を講師として頻繁に招くことであったり、教員の兼業を推奨していることであったり・・・。フラットな関係の中で互いに教え合うという学習方法こそが、情報化社会の教育のあり方なんだろうなと思う。
そう考えるとこの本の真価は、情報化社会の1つの生き方を説く本として読むところにあるのだろうと思う。新しい社会に向けての人生論なのだと思う。
とは言っても、周りはまだまだ工業社会の慣習が色濃く残る日本社会である。言われた仕事をしないで生きていくのは、相当に大変である。僕自身も今まで自分が好きな仕事以外いっさいやってこなかったけど、最近だんだん自分に自信がなくなってきて、このままじゃまずいんじゃないかと、さすがに思い始めているところだった。
でも、この本のお陰で元気が出て来ました。ありがとう!これからも、自分の「好き」を貫けるような生き方を続けていきたいと思う。会社の同僚のみなさん、ご迷惑をおかけしますが、これからもヨロシク!
でも親友と言いながら、結構彼女のことを知らないことが多かった。まあいつ会っても話の99%はバカ話して笑っているだけだから仕方がないんだけど。
あと少し気になったんだけど、この本の帯でテリー伊藤様に「お言葉」をもらう必要はなかったんじゃないか。テリー伊藤という「権威」に助けてもらう必要などまったくない。そんなことして売るような安っぽい本じゃないと思う。