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副編集チョのmaskinこと増田真樹です!
来年2013年1月15日、TechWaveは三周年を迎えるんです。
以前、編集長 湯川鶴章氏が「売上報告」として記事でレポートを上げていた時期もありましたが、今は裏方の話もなく、事実上 TechWaveのことを、きちんと理解している人はほとんどいないのが現状です。
そこで、立ち上げ直後にスタッフライターとして参加し、およそ3年間、TechWaveを念頭に置いて活動し、現在は100%TechWaveに専念してきた僕自身もTechWaveのことについて、経験したこととか、積み上げてきたことなどを語ってもいんじゃないかと思い、この文章を書くことにしました。
そもそもTechWaveは、2010年1月15日に、R25の立ち上げやライブドアブログなどの事業で著名な田端信太郎さん (近著はずばり「MEDIA MAKERS」) の声がけで、当時、時事通信の編集委員 をやっていた湯川鶴章さんによって立ち上げられています。オカパンこと本田正浩さんは時事通信の契約社員でデザイナーのような仕事をしていて、一緒に退職しています。
僕自身がTechWaveに関与することになったのは、立ち上げ直後に湯川さんから参加の打診があったからでした。当時、自分は家庭の都合で長期の休みを取っていて、リモートで某携帯キャリアのニュースサイトの立ち上げ業務のみで生活していて、媒体の仕事にはとても興味があったし、もっとやりたかったのだけど湯川さんのようにウェブ論壇にガンガン顔を出すことはできそうにないし、やりたくなかったのが正直なところです。
湯川さん言われたのは「個を立たせて」という話。僕は「自分を前に出したくない、メディアを育てることでがんばりたい」と説明し、参加が決まりました。この気持ちは今も全然ぶれていません。
「蛇足システム」の真実
やる気まんまんで執筆体制を構築していきました。独自のウェブサービスを開発したり、有料なソースにアンテナをはったり、情報収集の枠組みを自ら構築し、当時から国内であまり記事にもなっていないような情報を主にシリコンバレーや国内のキーマンから収集しました。ウェブメディアとしてやり方があると思いますが、僕の場合は集めるだけでなくかならずメールや電話で裏を取っていました。
本数を増やすにつれ、湯川さんとのネタのかぶりが問題となりました。どっちもほぼ同時に記事を書き初めるため、数分違いで記事を出してしまうようなこともありました。その後は、内容を見て、どっちが出すかを決めていきました。
これはこれでエキサイティングなことです。編集部の中でネタを取り合い、その内容や質で戦う。各自はより良いネタを探すし、文章力も向上せざるを得ない、その競争がTechWaveのブランド力につながっていることを実感しました。
このソーシャル編集部は10年前にやりたかったことなんです。現TechCrunch JAPAN編集長、西田隆一さん(当時はインターネットマガジン編集部在籍)とは、ちょうどブログを筆頭とするCMSが台頭し初めた時代で、よく「ソーシャル編集部」やりたいと言っていました。
しかし、せっかく「書きたい」と思ったのに言いたいことを言えないのは残念。ということで、他の人の記事に意見を付け加えるために「蛇足」というシステムが生まれたのです。
本当に蛇足になっていることもあり賛否両論ありますが、僕はこれがTechWaveのブランドの一つだと思っていますし、TechWaveの方向性を裏打ちするシステムとして機能していると思います。
(ちなみに、僕と湯川さんは、シリコンバレー在住時代に同じ街(サンマテオ)に住んでいました。なんとスーパーをはさんで隣、くらいの距離だったのです。それはTechWaveで一緒になってからしばらくなってからのことでした)。
「組織ではない」各自がバラバラに事業を開発
TechWaveは組織ではありません。編集部としての枠組みはあるので、正確に表現すると会社や団体といった組織ではない、といったらいいでしょうか。TechWave.jpを盛り上げ、そこで流れを生み、各自が事業を開発して収益化する。というプロセスで成立しています。だから、編集委託収入や広告収入だけど見て「黒字達成率」としても、実際の営業売り上げは加算されていないので現実とは乖離があるというわけです。
ただ、この形も、初めは違和感がありまた。TechWaveに参加してすぐ「さあ、いろいろがんばろう」と思った矢先、湯川さんと本田さんで「塾事業をやるんで」という話を聞き「え?」という感じです。
15万円超という高額な会員限定サロン「TechWave塾」は通称「湯川塾」として湯川さんのファンなどを中心に当初から集客力がありました。そのご、TechWaveメンバーとしていつでも顔を出すことは可能にはなりましたが、“お金を出した人限定” なので、メディアとは切り離されたものとして、何ともからむことができませんでした。
それを見かねてか、湯川さんはよく「マスキンもサロンやれよ」と言っていましたが、何年も巣籠していた自分にはすぐできる気もせず、地道にイベントをやったり、記事の本数を増したりする日々。まず自分を変えることしかできなかったように思います。
2010年12月2日に副編集長としてコアメンバーの仲間入りをさせてもらっています ( 11月黒字達成率は56.48%、増田さんが副編集長に【湯川】 )。PVも100万くらいまでに押し上げ、いよいよ何か初めようという段階になりました。
2011年からイベントオンパレード
僕自身が当初から思っている「TechWave像」というかメディア像というのは、紙もオンラインメディアもイベントもウェブサービスもアプリも、人の媒介としてはシームレスというものです。
記事で流れを生み、イベントやリアルの事業などへ展開することで、誰かの意識を変えたり、ある会社の事業を成長させたり、業界が活性化するところまでリーチしたいと常に思っていました。
そこで見えてきたのが記事連動型イベントです。早期からFacebookイベントおよびオンラインイベントサービスに注目し、2011年1月の1周年記念パーティを筆頭に、Facebookアプリ開発セミナー、「コードが書ける起業家の会」「投資家に話を聞く会」「江ノ島で3時間でゲーム開発」「花テック」「DKP (女子プログラミング勉強会)」「恋のスタートアップ」などの変な有料イベントを連発してきました。
その仕掛けはさまざまです。1周年記念パーティでは、世界的DJ 元UFOの松浦俊夫さんにプレイしてもらうことで、TechWave関係者の中心である30代後半の層に見えないアピールをしたり、イベントを通じて人と人、文化と文化をぶつけあい、TechWaveならではの活路を見い出すための壮大な実験をしてきました。
コミュニティ化への意識
その結果として2011年は、個人で運営する有料イベント(5000円以上)として1200人を動員。2012年2月にはその集大成とも言える「アプリ博」を成功させ、年内およそ3000人の動員を達成しました。この多様なイベントのうち、いくつかはスポンサーさん側からの指示を得られ、定例開催が確定しているものもあります。
これらのイベント展開で大切なのは「人と人」の接点づくりでした。かなりの人が運命的な出会いをするような設計を演出し、実際に個人レベルでも会社レベルでも多くのつながりを生むことができました。
課題と感じていたのは「コミュニティ」でした。湯川塾(TechWave塾)は回数を重ね、OB/OGにより非常に熱く濃密なサロンコミュニティを形成していました。いつでも参加できるし、個人個人では付き合いもあるとはいえ、地方に住む自分は足しげく関与はできずなかなか共同展開はできません。さらに2011年夏、湯川さんが突然の「コミュニティ宣言」より湯川塾色が強くなり、かなり焦ったのは事実です。
なぜ焦るのかというと、TechWave編集部には対話がないからです。編集部は名ばかりで、内容や方向性について、最後まできちんと議論したり情報共有をしたことがありません。この頃から、互いが何をやっているのかが把握できなくなりました。自分は1円単位で収支報告をすることもありますが、基本的に編集部が何をどう稼いでいるか知らないのが現状です。メディア路線でいく自分の手が届かないサロンが中心になると、確実に生活はできなくなるとその時は思いました。
ジャムセッション
放置プレイTechWaveは、それはそれで3周年に向う過程で必要だったのかもしれません。TechWaveはいわばジャズでいるジャムセッション。「ITで閉塞感を打破する」というメッセージだけを頼りに、邁進し続ける。ずっと不安で一人でトンネルの中にいるようでしたが、出口にたどりつくと、実は3人とも同じ方向で同じことをやっていたということになるんです。
多分、これは会社にして合議制でやっていたらできなかったでしょう。体制としては画一的なものではなく、代謝し続けるためのTechWave編集部体制なのだと思います。不安なのは僕だけではなく、コアメンバー全員が不安を共有し、新しいことを追い求めてこられたことがTechWaveの3年間の成果のようい思います。
現在、僕は湯川さんに「やりなやりな」と言われていたサロン型のコミュニティを作るため、2012年一杯をかけてスタートアップ支援(創出支援)に注力し「TechWave VANGUARD」として運営し初めました。まだまだ、形になっていませんが、結局はTechWaveでのの活動が認められるかどうかが全てて、よい活動ができればうまくいくし、そうでなければまだまだなんだなと思うようにしています。つまり、コミュニティ化の焦りというのは、コミュニティメディアであるTechWaveにおいて、実力そのものだったのです。
支えあうメディア
僕が手がけたイベントは、すべて僕一人が企画運営、PRなどをやりますが、もちろん全てが一人ではできません。多くの個人や企業に支えられて成功してきました。
アプリ博は、SocialMediaWeekを指揮するCCIおよび上場企業であるGMOインターネットさんと僕個人とのコラボとして、渋谷セルリアンタワーを1フロアジャックするという前代未聞の企画を実現することができまた。熊谷CEOも全社トップにメールしていただくなど強力に支援してくれましたし、十数名のスタッフの中には、会社の遊休を取って手伝いにきてくれる人もいました。花テックや他のイベントでも沢山の人が、見返りを求めず手伝いをしてくれました。たかが一個人の試みにこんなに共感してくれる人がいる、と、涙がこぼれました。
共感し力を貸してくれる人の存在は、僕の人生を大きく変えました。ただの感謝ではない、これからの人生をすべて投じて支えてきてくれた人に貢献しようという決意が生まれたんです。
そんなこんなの3年間。疲弊したり食っていけない時期が続いたりもしてました。方向性とかで湯川さんとはガチる(僕の子どもじみた癇癪だと思いますが、、、)こともあったけど、メディアとしてのTechWave、湯川塾ことTechWave塾、そしてスタートアップコミュニティ、イベント協力者のコミュニティ、すべてにおいて、嫌になることはなかったです。
常につるんでなくても、多くの人と価値観を共有しあい、前に進むことができる世界。それをTechWaveは与えてくれました。初めは「個を立たせるなんて興味ない」と強がっていましたが、僕は湯川さんとTechWaveによって二足歩行ができるようになりました。
4年目に入るTechWaveの2013年展開については、また別途お伝えしようと思いますが、いわゆる「メディア」を超え、輝く個にスポットライトを照てるだけでなく、ググっと背中を押すようなことをしていきたいと思います。ありがとうございました。
【関連URL】
・生き残るスタートアップ、消えてしまうスタートアップについての長めの雑感 【増田(@maskin)真樹】
http://techwave.jp/archives/51657643.html
・僕はこう思っているっス 「ネットがあったから今の僕がいる」 【増田 @maskin】
http://techwave.jp/archives/51752379.html
夢を叶える技術者。8才でプログラマ、12才で起業。18才でライター。道具としてのIT/ネットを追求し、日米のIT/ネットをあれこれ見つつ、生み伝えることを生業として今ここに。1990年代はソフト/ハード開発&マーケティング→週刊アスキーなど多数のIT関連媒体で雑誌ライターとして疾走後、シリコンバレーで証券情報サービスベンチャーの起業に参画。帰国後、ネットエイジ等で複数のスタートアップに関与。関心空間、@cosme、ニフティやソニーなどのブログ&SNS国内展開に広く関与。坂本龍一氏などが参加するプロジェクトのブログ立ち上げなどを主導。 Rick Smolanの24hours in CyberSpaceの数少ない日本人被写体として現MITメディアラボ所長 伊藤穣一氏らと出演。活動タグは創出・スタートアップ・マーケティング・音楽・子ども・グローカル・共感 (現在、書籍「共感資本主義」「リーンスタートアップ」執筆中)。@宇都宮ー地方から全国、世界へを体現中。