[読了時間:7分]
これを繰り返していると、だれがどのような認識を持っているのかだいたい分かってくる。時代の先を読もうとしている人、読めている人が見えてくるのでおもしろい。
あるとき自分の中でぼんやりと見えてきた未来のビジョンをTweetしたことがある。自分自身で書いていて「これじゃなんのことだかさっぱり分からないな」と思うようなTweetだった。さすがにこんなTweetにはだれも反応しないだろうと思っていたら、二人からリプライが来たのでびっくりした。同じような未来を見ている人がいることに驚いた。
一人がマイネット・ジャパンの上原仁さん。もう一人が株式会社gumiの国光宏尚さんだった。国光さんといえば、前回の寄稿日本のソーシャルゲームに追い風、日本はスマホソーシャルゲーム市場で世界を獲れる!【gumi国光宏尚】 : TechWaveがものすごい反響を呼んだ。多くの人が国光さんの近未来のビジョンに共感していた。そこで今回は、国光さんにさらに先の未来を見通してらうことにした。(湯川鶴章)
国光宏尚
10年前ならMicrosoftの覇権が永遠に続くように思われていたし、数年前ならGoogleは世界を支配するとさえ考えられていた。しかし今やそんな風に主張する人は一人もいなくなった。
これから来年にかけて「Facebookが個人データをすべて手中に収め世界を支配する」というような論調が出てくるのかもしれない。しかし数年後には、そうした論調も「もはやジョーク」となるのだと思う。
覇権を握った会社が長期間に渡ってすべてを支配し続けることなどありえない。それどころか、これまでのIT業界の覇権争いの歴史を見ると、1つの会社が覇者として君臨できる期間はどんどん短くなる方向であることが分かる。
それではこれから始まるであろうFacebookの覇権時代のさらにその先には、いったいどんな時代が待っているのか。Facebookの次の時代の覇者はどんな企業になるのか。どこにビジネスチャンスがあるのか。スタートアップはどこを目指すべきなのだろうか。
情報革命は個人革命
未来を読む上で大事なことは、これまでの歴史の大きな流れを掴むことである。大きな流れを掴むことで、今起こっていることが理解でき、さらにその延長線上にある近未来を予測できるのである。
歴史の大きな流れでいうと、今の情報革命は人類の歴史の中での3番目の大きな革命である。これは既に多くの人が指摘する通りだ。
最初の農業革命では、灌漑技術などが発達し人類は自分たちで生産をコントロールできるようになった。その結果、定住が始まり、集落が形成され、人口が増えた。そしてそれを取りまとめるために国家、法律ができ、宗教が必要になった。
そして宗教が社会の中心になり成長性がなくなったところで産業革命が起こった。産業革命はいろんな側面を持つが、次の情報革命との関係性を考える上で最も重要なのが、産業革命は「マス革命」だったということだと思う。
大量に生産し、大量に輸送、マスメディア広告を打ち、大量に消費するというパラダイムが産業革命だった。その中で、消費者はF1、M1などというように性別と年齢で区分けされて、マーケティングの対象となった。同じ性別、同じ年令層なら、生活様式も同じ、見るテレビ番組も同じ、趣味嗜好も同じ。そんなふうに想定され、扱われた。
もし今起こっている情報革命が本当に「革命」的社会変化であるならば、こうした産業革命後の社会のあり方を180度ひっくり返すことになるはず。つまり「マス」ではなく「個人」にフォーカスされる社会になるはずだ。みんなが欲しいものが欲しいのではなく、自分が欲しいものが欲しい。みんなが見るものを見たいのではなく、自分が見たいものが見たい。自分がつながりたい人とつながりたい。自分が行きたいところに行きたい。「マス」として扱われることを否定し、「自分」「個人」を大事にしたいという流れだ。これが情報革命の本質ではないだろうか。
Twitterはそうした「個人革命」の典型だと思う。自分がつながりたい人だけをフォローし、つながりたくない人はブロックする。その結果、流れてくる情報も自分がほしい情報だけ流れてくるようになる。マスメディアのように広く一般向けの情報を流すメディアとは正反対だ。
個人革命という情報革命の本質は、文化や社会通念にも大きな変化を与えることになるのだと思う。ただ技術のトレンドだけに話をフォーカスすると、自分が見たいものが見たい、つながりたい人とつながりたい、行きたいところへ行きたい、という思いを支援する技術がこれからも求められるはず。それを最もイノベイティブな方法で提供するところが、情報革命時代の覇者になるのだと思う。