スティーブ・ジョブズとわたし【湯川】

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[読了時間:3分]
 スティーブ・ジョブズがAppleのCEOを退任した。

 ジョブズは1955年生まれだからわたしより3つばかり年長になる。もちろん業績はわたしと比べるべくもないが、同じ時代を生きてきた同世代同士として、今回の退任には感慨深いものがあった。自分の中でも1つの時代が終わったように感じた。

 最初にジョブズの名前を聞いたのはいつぐらいだっただろうか。

 わたしがサンフランシスコで新聞記者としてスタートを切ったのが1985年。恐らくわたしが最初に書いたAppleとジョブズに関する記事は、John ScullyによってジョブズがAppleを解任されたという話だったのではないだろうか。創業者社長のジョブズが、自分が採用したScullyによって解雇されるというニュースに衝撃を受けたのを覚えている。

 その後ジョブズが立ち上げたNeXT Computerの会見で何度かジョブズを見かけたし、ジョブズのもう一つの事業である映像会社Pixarは、プレスツアーで訪れたことがある。サンフランシスコからずいぶん離れた場所にある広々とした敷地内に立てられたPixar本社の中は、アーチストやクリエイターたちがスケートボードやキックボードなどで移動していた。

 メディアのレーダーから完全に消えることはなかったが、そのころのジョブズは「過去の人」というイメージ。ウィンドウズで一世を風靡し世界の長者番付に名前が出るようになったMicrosoftのビル・ゲイツとは対照的だった。


 わたしの友人がスタンフォード大学のすぐ近くでやっている寿司屋に、ジョブズは時折、夫人と一緒に現れるようになった。「ジョブズが来てたよ」ー。友人たちが集まると、そのことが話題になることがあった。ただ「過去の人」にはだれもあまり興味がなさそうだった。

 Appleはその後、Nextを買収。ジョブズは自分が創業した会社に社員として復帰することになった。そして1997年には暫定CEOに就任。このころわたしはITが専門領域になっていたので、ずいぶんとジョブズの記事を書いたものだ。ジョブズが出る会見はほとんど参加した。会見に出ると、非売品のTシャツがもらえたりした。今ならプレミアム付きでオークションで売れそうなものだが、そのころは何も考えず家着として着ていた。

 ジョブズが暫定CEOから正式CEOに就任した2000年に、わたしは在米生活20年にピリオドを打ち、帰国した。

 それからのジョブズの活躍ぶりは、若い読者のみなさんでもよくご存知の通り。

 Appleは華麗に復活し、パソコンメーカーからデジタル家電メーカーになり、そして21世紀のデジタルライフスタイルを牽引するビジョナリー・カンパニーになった。

 ジョブズのビジョンに世界がようやく追いついてきたわけだ。

 社会変革は一朝一夕には起こらないもの。なので不遇の時代にあっても決して諦めない。自分のビジョンを信じて、今すべきことをやっていく。そのことの大事さを、ジョブズはわれわれに教えてくれた。

 件の寿司屋の友人は、その後、場所を変え高級日本食レストラン「桂月」を開業した。ジョブズは相変わらずこの友人の寿司が大好きで、足繁く桂月に通っているようだ。桂月はランチタイムは営業していないのだが、ジョブズのたっての要望を受け、貸切でAppleの取締役会なども開くのだと言う。

 昨年、久しぶりに桂月を訪ねたら「昨日、スティーブが来たんだよ」と友人がうれしそうに語ったくれた。ジョブズが病気療養中と報じられていたときのことだ。病気療養を始める前にも桂月で食事をしたらしく、半年後に回復したので早速食事に来たらしい。確かにその2,3日後にジョブズ復帰のニュースが流れた。

 友人によると家族で食事にくるとジョブズは、まったく別人のように夫人に甘えるのだという。「奥さんはスティーブをまるで子供のように扱うんだよ」ー。世界を変革してきたCEOという外の顔とは、正反対の別の顔があるのだそうだ。

 それだけCEOの仕事は激務なのだろう。

 ブログやFacebookなどでは今回の退任を悲しむ声が多い。しかしジョブズは死んだわけではない。家族との生活の中で自分らしさを取り戻し、これからも社会の今後の方向性を示し続けてほしいと思う。

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